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トーヨーリファール : ミニ英和和英辞書
トーヨーリファール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トーヨーリファール : ウィキペディア日本語版
トーヨーリファール[ちょうおん]

トーヨーリファール日本競走馬。いわゆる持込馬で、芝とダートの両方で重賞を勝った。
馬齢は旧表記(数え年)とする。
== 戦績 ==
1992年11月4日京都競馬場新馬戦でデビューし勝利。続くカトレア賞にも勝利するが、4歳(1993年)の春にかけてトウ骨の骨膜炎に苦しめられ、ラジオたんぱ杯3歳ステークスきさらぎ賞アーリントンカップはいずれも6着に終わる。
休養をはさみ、東京優駿(日本ダービー)の優先出走権を目指して出走したトライアルNHK杯で4着に敗れると、当時「残念ダービー」と呼ばれていたニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走し、6番人気の低評価を覆して中団追走から大外に持ち出して楽々先行馬群をとらえると、2着のケイウーマンに2馬身差をつけ勝利する。続く中日スポーツ賞4歳ステークスでは当時の日本レコードで勝利したネーハイシーザーに敗れはしたが、2着を確保した。
秋は菊花賞を目指したが、神戸新聞杯を4着、京都新聞杯を3着となったことで、陣営は距離適性に限界を感じたのか、短距離路線に変更した。しかし、マイルチャンピオンシップで5着、スプリンターズステークスでは8着に終わる。
1994年、5歳の初戦には重賞に昇格した平安ステークスに出走。初ダートとあって5番人気と評価はそれほど高くなかったが、好位追走から逃げ粘る地方馬オーディンを追いかけ、ゴール前でクビ差とらえて重賞2勝目をあげた。しかし、レース後骨折が判明し休養。6月のCBC賞で復帰したが、4着に終わると、再び骨折が判明。秋に復帰も3走していずれも凡走に終わる。
6歳となった1995年は、初戦に前年に勝利した平安ステークスを予定したが回避し、すばるステークスに出走すると、2着リドガイに4馬身差の勝利。中1週で出走したフェブラリーステークス(当時はGII)でもライブリマウントの2着と好走し、続くマーチステークスでは59キロのトップハンデを苦にせず重賞3勝目を挙げた。そして芝のマイル路線に駒を進めるが、京王杯スプリングカップでは1番人気(ただし単勝5.0倍)に支持されながらも8着に敗れ、安田記念も15着に終わる。続いて出走した宝塚記念では最低人気だったが、このレースで逃げを打つと、2分10秒2の日本レコードで勝ったダンツシアトルからわずか0秒4差の4着に粘った。高松宮杯(当時GII・芝2000m)では6着。秋初戦のマイルチャンピオンシップ南部杯で5着に敗れると、続く天皇賞(秋)では17頭立ての16番人気の低評価になったが、逃げてサクラチトセオーから0秒2差の4着に粘る。しかし、再び故障を発症した。
1996年、7歳の初戦として川崎記念に出走したが、5着に敗れると再び休養。休養明け初戦の毎日王冠では12頭立ての8番人気も、逃げてアヌスミラビリスの2着に粘った。再び故障で休養し、8歳となった1997年プロキオンステークスで復帰すると3着に好走。しかし3番人気に支持されたアンタレスステークスでは11着に終わり、秋に朝日チャレンジカップ京都大賞典と出走し、これを最後に現役引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トーヨーリファール」の詳細全文を読む




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