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トーンルン・シースリット : ミニ英和和英辞書
トーンルン・シースリット[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トーンルン・シースリット : ウィキペディア日本語版
トーンルン・シースリット[ちょうおん]

トーンルン・シースリット(Thongloun Sisoulith, 1945年11月10日 - )は、ラオスの政治家。副首相兼外相。ラオス人民革命党政治局員。博士
== 経歴 ==
トーンルンは1945年、ラオス北部のフアパン県に生まれた。ラオス内戦中に、革命運動に参加。1962年、フアパンのネーオ・ラーオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)教育学校に入学し、1969年まで学ぶ。また1962年から69年まで、フアパンのネオ・ラーオ・ハクサート教育課に勤務。1969年、在ハノイ・ネオ・ラーオ・ハクサート代表部に務めた。
1973年ソ連レニングラードの教育大学に留学し、言語学および文学修士号を取得。内戦終結後の1978年に帰国した。同年、ビエンチャン大学の教員に就任し、1979年から1981年は、教育大臣秘書官、教育省渉外課長を歴任した。1981年から1984年、モスクワの社会科学アカデミーに留学し、歴史学博士号を取得。帰国後の1985年から1986年、首相府公共調査局長。
1986年11月の第4回党大会において党中央委員に選出され、党内序列第47位となる。1987年、外務副大臣に任命され、92年まで務めた。
1991年3月の第5回党大会において中央委員に再選し、序列第27位に昇格。1993年、カムタイ内閣で労働・社会福祉大臣に任命され、97年まで務めた。
1996年3月の第6回党大会において中央委員に再選し、第15位となる。1997年12月の国民議会議員選挙で当選し、翌1998年2月、第4期国民議会議員に就任するとともに、国民議会常任委員兼外交委員会委員長に任命された。
2001年3月の第7回党大会において中央委員および政治局員に選出され、序列第9位となる。直後の3月27日、ブンニャン内閣で副首相兼計画・協力委員会委員長に任命。2002年2月、選挙で当選し、同年4月9日から第5期国民議会議員を務める。2004年8月、委員会組織の改称により副首相兼計画・投資委員会委員長となる。他に、投資・協力委員会 (CIC) 委員長、ラオス国家エネルギー委員会 (LNCE) 委員長を兼ねた。
2006年3月の第8回党大会において政治局員に再選され、序列第8位となる。同年4月、第6期国民議会議員選挙にビエンチャン選挙区から立候補し、当選した〔ヴォーラペット(2010年)、180ページ〕。6月8日、第6期国民議会議員に就任するとともに、ブアソーン・ブッパーヴァン内閣の副首相兼外務大臣に任命された。2010年12月、ブアソーン首相の辞任後も、トーンシン内閣で副首相兼外務大臣に留任した。
2011年3月の第9回党大会において政治局員に再選し、序列第4位となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トーンルン・シースリット」の詳細全文を読む




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