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ドイツの秋[どいつのあき]
ドイツの秋(ドイツのあき、Deutscher Herbst)は、1977年後半のドイツ(当時は西ドイツ)で起こった、一連のテロ事件の通称。 ドイツ赤軍(Rote Armee Fraktion、RAF)は、この年の9月にドイツ経営者連盟会長ハンス=マルティン・シュライヤー(Hanns-Martin Schleyer)を誘拐し、10月にはパレスチナ解放人民戦線(PFLP)とともにルフトハンザ機をハイジャックした。ハイジャック機には特殊部隊が突入し、RAF幹部は獄中で相次ぎ自殺し、シュライヤーは遺体で発見されるという衝撃的な結末を迎えたこれらの事件は、マスコミで連日連夜大きく報じられた。戦後最大のテロ事件と政治的危機により西ドイツ社会は恐怖に震えた。 「ドイツの秋」という言葉は、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーやフォルカー・シュレンドルフらの監督による1978年の映画『秋のドイツ』(Deutschland im Herbst)に由来する。この映画は一連の事件および社会の雰囲気を伝えるニュースフィルム、様々な立場の論者による事件の解説や議論、第二次世界大戦前の社会主義運動などのドイツ史を語る映像などを交えてこの事件を描いたものだった。 == 背景 == 数々のテロ事件を起こしたRAFは、1972年春にアンドレアス・バーダーやウルリケ・マインホフら中心メンバーが逮捕され、シュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所に収監されたことで壊滅したかに思われた。しかし弁護士で赤軍シンパのクラウス・クロワッサン(Klaus Croissant)とジークフリート・ハーグ(Siegfried Haag)が組織の後継者となる「第二世代」のメンバーの勧誘と訓練などを行いながら、獄中の「第一世代」と面会しその声明をマスコミや支援者らに伝えていた。 獄中でRAF第一世代は何度も大規模なハンガーストライキを行い、また1975年にはRAF第二世代のメンバーが政治家ペーター・ロレンツ(Peter Lorenz)の誘拐事件、ストックホルムの西ドイツ大使館占拠事件などを立て続けに起こした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイツの秋」の詳細全文を読む
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