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ドイツ人民党(Deutsche Volkspartei、略称DVP)は、ヴァイマル共和国時代のドイツの政党。政治スタンスとしてはリベラル寄りの保守政党だった。 == 概要 == 1918年にグスタフ・シュトレーゼマンの指導のもと、帝政時代の政党国民自由党の右派が集まって結成された政党である。この政党は当初はドイツの大実業家・資本家の考えを代弁し、キリスト教家族の価値観を擁護し、福祉政策に反対し、共産主義者や社会民主主義者と敵対し、またヴァイマル共和国政体や民主主義にも懐疑的な態度であった。 しかし徐々にドイツ社会民主党やドイツ中央党などの中道や穏健左派勢力と連携を深めるようになり、ヴァイマル共和国体制も大筋で認めるようになり、リベラル保守政党に転じていった。与党となることも多くなり、特に党首のシュトレーゼマンは1923年から1929年の間、9回の内閣にあって外務大臣の職にあり続け、国際的に知名度の高いドイツの政治家の一人となった。 しかし1929年にシュトレーゼマンが死ぬと党は徐々に右寄りに回帰していった。1930年初めには社会民主党と失業者政策で争い、ヘルマン・ミュラー大連立内閣の倒閣に動いた。1930年9月の総選挙では最も得票率を凋落させた政党となった。15議席も失って30議席に落ち込んだ。1932年の選挙ではさらに大幅に得票率を減らし、わずかに7議席を持つ政党となった。急速に政界での影響力を弱め、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が政権を掌握した1933年には解散させられた。 第二次世界大戦の後、旧ドイツ人民党の勢力は自由民主党の創設に加わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイツ人民党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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