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ドイツ君主系図では、ドイツの君主であるフランク王、東フランク王、ドイツ王(ローマ王)、神聖ローマ皇帝、ドイツ連邦元首、ドイツ皇帝の系図を示す。 == 各家の関係 == 神聖ローマ帝国(ドイツ)ではフランスと異なり、王朝の断絶や交代が何度も起きている。しかし、東ローマ帝国のように完全に血統が入れ替わってしまうことはなく、女系では各家の血縁関係が認められる。 カロリング朝はカール大帝に始まるドイツ最初の王朝であり、ロタール1世の中フランク家、ルートヴィヒ2世の東フランク家、カール2世(シャルル2世)の西フランク家に分裂し、この三家と末妹ギーゼラの子孫からそれぞれドイツ王が出ている。コンラディン朝は東フランク家アルノルフの娘グリズムートの子コンラート1世が開いたが、1代で断絶した。 ザクセン朝を開いたハインリヒ1世はカール大帝の孫であるギーゼラの女系でのひ孫にあたる。ザーリアー朝を開いたコンラート2世はザクセン朝の皇帝オットー1世の娘リウトガルドが嫁したコンラート赤毛公のひ孫であり、オットー1世のひ孫にあたる。コンラート2世の皇后でハインリヒ3世の母であるギーゼラはブルグント王家の血を引いており、ブルグント王家も女系を辿るとロタール1世に行き着く。ホーエンシュタウフェン朝はザーリアー朝のハインリヒ4世の娘アグネスがシュヴァーベン大公フリードリヒ1世に嫁してもうけた子孫である。 ズップリンブルク朝ただ一人の皇帝となったロタール3世は下の系図では省略しているが、女系を辿るとブルグント王家、さらにロタール1世に行き着く。ヴェルフェン朝ただ一人の皇帝であるオットー4世はロタール3世のひ孫にあたるため、やはり女系をたどるとロタール1世に行き着く ルクセンブルク家は家祖ジークフリートの母クニグンデがカール2世の子ルイ2世の孫にあたるため、カロリング朝の血を引いている。ハプスブルク家はルクセンブルク家のクレメンティアがブルグント総監のツェーリンゲン家に嫁し、その孫のアンナがキーブルク家に嫁し、さらにその子ヘートヴィヒがハプスブルク家に嫁してドイツ王となったルドルフ1世をもうけていることから、かろうじてカロリング家に繋がっている。また、この女系による繋がりはスイスでハプスブルク家が相続によって領地を拡大した流れと一致する。 ヴィッテルスバッハ家は皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家ルドルフ1世の孫にあたるため、ハプスブルク家と同じくカロリング家に繋がっている。また、ルートヴィヒ4世の子シュテファン2世がホーエンシュタウフェン家最後の男系子孫マンフレーディのひ孫にあたるイザベラと結婚したことから、ホーエンシュタウフェン朝の血がここで入っている。ヴィッテルスバッハ家に入ったホーエンシュタウフェン家の血は近世の近親婚を通してハプスブルク家にも入った。ホーエンツォレルン家最初のブランデンブルク選帝侯であるフリードリヒ1世の妻はホーエンシュタウフェン家の血を継いだヴィッテルスバッハ家のエリーザベトであり、ホーエンツォレルン家も元を辿ればオットー1世やカール大帝に行き着くことになる。 このように、カール大帝の血筋は各王家にどこかで入っており、ドイツ君主には初代カール大帝の血が受け継がれている。ほぼ確実にカール大帝の血を引いていないと思われるのはライン同盟の保護者でコルシカ島の田舎貴族出身のナポレオン1世のみである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイツ君主系図」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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