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ドイツ国鉄19.10形蒸気機関車(''DRG Baureihe 19.10''〔ドイツ国鉄では、日本国鉄であれば“19形1000番台”と形式区分を表記されるであろう、“19 10xx”(xxは任意の数値)という番号の車両の形式称号を“1910形”ないしは“19.10形”、と基幹形式名と区分番台の100の位以上の数値を組み合わせて表記する。このため“19 1001号機”は“1910形1号機”ないしは“19.10形1号機”とも表記されることになる。一般に日本で出版されている書籍等では前者が用いられることが多いが、本項では可読性を重視し、この脚注を除き全て後者を用いて表記している。〕)は、1941年に、ドイツ国営鉄道(''DRG:Deutsche Reichsbahn-Gesellschaft'' 現:ドイツ鉄道)が試験的に1両製造した旅客用蒸気機関車。ヘンシェル社は製造番号25000番として、全体を流線カバーで覆われたスタイルのこの試験機を提供した。電気機関車で実用化されていた、各動軸を独立して駆動する方式を応用しており、4つの動軸が各々独立したV字形の蒸気エンジンによって駆動されるスタイルであった。車軸配置はホワイト式で2-8-2である。 == 設計 == 1930年代、より高速な列車の運行が望まれる中、新しい蒸気機関車を設計する上で、それまでは目立たなかった技術的な限界が顕著になっていた。従来の蒸気機関とそれをロッドで伝達する方法では、車輪の常用最大回転数は毎分400回が限度であると経験的に知られていた。この速度の限界に対して、技術者は可動部の軸受やマスバランスに深刻な問題が生じることを予期していた。また、動輪の巨大化にも技術的・構造的な限界が生じていた(当時動輪直径が最大の蒸気機関車は61型の2300mm)。ドイツでは1933年以来、蒸気機関車の駆動軸全てを蒸気エンジンで駆動させる実験がおこなわれていた(ボルジッヒ社など)。 1938年、TB4設計事務所はカッセルのヘンシェルとともに各軸駆動方式の機関車を計画した。計画は、リヒャルト・ローゼン(1901 - 1980)とウルリッヒ・バルスケの指揮により、1つのエンジンが1つの動軸を駆動させる流線型の19.10形となった。ドイツ国営鉄道は設計書をヘンシェルに提出して製造が委託された。完成期日は、ヘンシェルオーナーのオスカー・ローベルト・ヘンシェル(1899 - 1982)の40歳の誕生日である1939年9月1日とされた〔皮肉にもこの日付は第二次世界大戦が勃発した日となった。〕。当時生産されていた他の標準的な機関車から部品を流用することで、製造は9月までにはかなり進捗していた。しかし、前例のない機関車用の蒸気エンジンのため、最終的な完成は遅れることとなった。1940年8月7日にようやくカッセルにあるヘンシェルの敷地内で数メートルの自力走行にこぎ着ける。2日後にエンジンを1基だけ装備した状態で操車場に移動した。このあと、ハン・ミュンデンで試運転がおこなわれた。機関車は時速80km以下では満足できる走行を示した。一連の試運転の結果に基づき、残る3つのエンジンが装着された。1940年11月から4基のエンジン全てを使用した試運転がおこなわれた。蒸気エンジンの調整に向いた陰極管オシログラフによる測定方法が開発されて初めて実施された。 1941年6月13日にヘンシェルからドイツ国鉄への納入式が行われた。ヘンシェルで残った作業の終了後、1941年7月8日にベルリン・グリューネワルド駅(Berlin-Grunewald railway station)に隣接した機関車研究所(LVA、Lokomotiv-Versuchsamt Grunewald)に搬入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイツ国鉄19.10形蒸気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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