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ドイツ領ニューギニア : ミニ英和和英辞書
ドイツ領ニューギニア[どいつりょうにゅーぎにあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドイツ領ニューギニア : ウィキペディア日本語版
ドイツ領ニューギニア[どいつりょうにゅーぎにあ]

ドイツ領ニューギニア(ドイツりょうニューギニア、、)は、ドイツ植民地帝国が初めて獲得した地域1884年から第一次世界大戦勃発後オーストラリア占領した1914年まで保護領であった。ニューギニア島北東部(カイザー・ヴィルヘルムスラント)及び周辺の島嶼部から構成。総面積は249,500平方キロメートル
ドイツ領ニューギニア及びビスマーク諸島の主要地域は現在、パプアニューギニアの一部となっている。カイザー・ヴィルヘルムスラント東側の島々は併合に際しビスマーク諸島(嘗てのニューブリタニア諸島)と改称、最も大きな2つの島はそれぞれノイポンメルン(ニューポメラニア、現在のニューブリテン島)、ノイメクレンブルクニューアイルランド州)と名を改めた〔 at p84〕。
西太平洋におけるドイツ領の島々はドイツ領サモアを除き「ドイツ帝国太平洋保護領」を形成。これらはドイツ領ニューギニアの統治下にあり、ドイツ領ソロモン諸島ブカブーゲンビル両島及び小諸島群)、カロリン諸島パラオマリアナ諸島グアム島以外)、マーシャル諸島及びナウルを含む。
== 歴史 ==

=== 南太平洋における初期のドイツの存在 ===
南太平洋地域に初めて進出したドイツ人は、アベル・タスマンが処女航海を行っていた時期、オランダ東インド会社商船ヘームスカーク号で船長を務めたドイツ北東部イェファー出身のホールマン(或いはホルマン)という男性であったという〔Chronology of Germans in Australia 〕〔Gutenberg Australia ''Abel Janszoon Tasman's Journal'', edited by J E Heeres (1898), see descriptive note .〕。その後、ハンザ同盟商館が初めて足場を築く。ハンブルクのヨハン・セザール・ゴーテフフロイ・ソーン社が1857年以降、サモア交易の拠点を置き、とりわけコプラ貿易や南太平洋各入植地へのドイツ移民の移送に力を入れながら、太平洋の貿易網を確立したのである〔Townsend, M. E. (1943) "Commercial and Colonial Policies" ''The Journal of Economic History'' 3 pp 124–134 at p 125〕〔Hans-Jürgen Ohff (2008) ''Empires of enterprise: German and English commercial interests in East New Guinea 1884 to 1914'' Thesis (Ph.D. University of Adelaide, School of History and Politics) at p 10.〕〔"Godeffroy and Son possibly controlled as much as 70 per cent of the commerce of the South Seas" Kennedy, P. M. (1972) Bismarck's Imperialism: The Case of Samoa, 1880–1890 ''The Historical Journal'' 15(2) pp 261–283 citing H. U. Wehler ''Bismarck und der Imperialismus'' (1969) pp 208–15; E. Suchan-Galow ''Die deutsche Wirtschaftsta"tigkeit in der Südsee vor der ersten Besitzergreifung'' (1884) (Vero"ffentlichung des Vereins für Hamburgische Geschichte, Bd. XIV, Hamburg, 1940).〕。また、1877年にはハンブルクの商社ヘルンシェイム・ロベルトソン社がニューブリテン島北東部沿岸・ブランチ湾(ここからニューブリテン島やカロリン諸島、マーシャル諸島へ貿易を行っていた)のマトゥピ島でドイツ人共同体を設立〔Romilly, H. H. (1887) "The Islands of the New Britain Group" ''Proceedings of the Royal Geographical Society and Monthly Record of Geography, New Monthly Series'' 9(1) pp 1–18 at p 2.〕〔Townsend, M. E. (1943) "Commercial and Colonial Policies" ''The Journal of Economic History'' 3 pp 124–134 at p 125.〕。この他1875年末までには、あるドイツ人商人をして「他の如何なる国をもほとんど除外してしまう程、ドイツの業者や船に至る所で出会う」とまで言わしめている〔Hans-Jürgen Ohff (2008) ''Empires of enterprise: German and English commercial interests in East New Guinea 1884 to 1914'' Thesis (Ph.D.) University of Adelaide, School of History and Politics p 26 quoting Schleinitz to Admiralty, 28 Dec. 1875, ''Drucksache zu den Verhandlungen des Bundesrath'', 1879, vol. 1, ''Denkschrift'', xxiv–xxvii, p. 3.〕。
しかし、経済的な動向は兎も角として、1880年以前における太平洋地域の植民地支配は限定的であった。当時のヨーロッパ列強の勢力範囲はニュージーランドフランス領ポリネシアニューカレドニア及びフィジー程度とされ〔山本真鳥編『新版 世界各国史 27 オセアニア史』山川出版社、2000年8月、p.233〕、国家統一に手間取られ植民地獲得競争で両国の後塵を拝していたドイツが、太平洋進出への機会を伺うようになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドイツ領ニューギニア」の詳細全文を読む




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