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ドゥカティ・コルセ ( ''Ducati Corse S.r.l.'' ) はドゥカティのオートバイレース関連を担当する子会社。クラウディオ・ドメニカリを代表に、イタリア・ボローニャに本社を置く。ドゥカティ・コルセでは100人以上の従業員(ドゥカティの全従業員のほぼ10%にあたる)が働いている。現在はロードレース世界選手権のMotoGPクラスにワークス参戦している。 会社は4つの部門に分かれている。 * 研究・開発部門 2つのチームに分かれ、MotoGPとスーパーバイク選手権を戦うマシンの設計と開発を担当している。 * 競技部門 MotoGPに参戦するワークス・チームの運営を担当する。シーズンまではスーパーバイク世界選手権にもワークス体制で参戦していた。 * 商業活動部門 プライベートチームへのマシンとスペアパーツの供給を担当する。スーパーバイク世界選手権や各国のスーパーバイク選手権でドゥカティ車を使うプライベーターへのコンサルティング業務と技術援助もおこなう。からは、MotoGPのドゥカティサテライトチームへのマシン供給と技術サポートもおこなっている。 * マーケティング・情報部門 レース活動を通じて、ドゥカティのブランドイメージを高めることを目的としている。ドゥカティ・コルセの公式グッズの製造も担当している。 ==ロードレース世界選手権 (MotoGP)== ドゥカティはにロードレース世界選手権のMotoGPクラスに参戦を開始し、5年目のに初チャンピオンを獲得した。 に最高峰クラスのルールが変更となり、4ストロークマシンが有利になったのを受け、ドゥカティはシリーズへの参戦を決意した。 2002年のムジェロでおこなわれたイタリアGPで、翌年のシリーズを戦う4ストロークマシンが初めて披露された。 参戦初年度となる、ライダーにはロリス・カピロッシとトロイ・ベイリスを採用した。カピロッシは開幕戦の鈴鹿で表彰台を獲得し、カタルニアではチーム初優勝を果たした。カピロッシはシリーズ4位に入り、ベイリスはシリーズ6位となった。チームとしてはマニュファクチャラー部門で総合2位に入った。 シーズンはマシンの熟成が遅れて、両ライダーは表彰台を獲得したものの未勝利に終わった。 シーズンは、ベイリスに代わりスペインのカルロス・チェカがチームに加入。タイヤはミシュランからブリヂストンに変更となった。カピロッシはもてぎとセパンで勝利を挙げ、チェカは2度3位表彰台を獲得した。 シーズンはチェカに代わりセテ・ジベルナウが加入。開幕戦のヘレスでカピロッシが勝利、次のカタールでも表彰台を獲得するなど好調を維持し、一時はチャンピオン争いをリードしていたが、第7戦カタルニアのスタートでカピロッシとジベルナウは接触事故を起こし、両者とも重傷を負ってしまった。カピロッシは次戦のアッセンから復帰したが、鎖骨などを骨折したジベルナウはアッセンとドニントンを欠場、一時復帰したが再手術のためブルノも欠場した。この間の代役はドイツのアレックス・ホフマンが務めた。最終戦バレンシアでもジベルナウは欠場し、代役にはこの年のスーパーバイク世界選手権王者のトロイ・ベイリスが迎えられた。ベイリスは自身のMotoGP初優勝を果たし、カピロッシも2位に入りドゥカティは初のワン・ツー・フィニッシュを獲得してシーズンを終えた。 シーズンからレギュレーションが変更になり排気量が800ccに縮小されるのを受けて、ドゥカティはかなり早い時期から800ccエンジンの開発に取り掛かり、2006年の8月には20基もの様々なスペックのエンジンを完成させていた。カピロッシのチームメイトにはケーシー・ストーナーが加入した。ストーナーはチャンピオン争いをリードし続け、残り4戦となった9月23日のもてぎで自身初・チーム初のワールドチャンピオンに輝いた。 シーズンの終わり、ドゥカティのチーフエンジニアのアラン・ジェンキンスはシーズン中の功績を讃えられて「サー・ジャッキー・スチュワート・アワード」を授与された。 シーズンもストーナーは残留し、新たにマルコ・メランドリをチームメイトに迎えた。メランドリはマシンへの適応に苦しみ低迷、チームとは2年契約を結んでいたが、双方が同意の上で契約期間を短縮し、1年でチームを去ることになった。 はメランドリに代わりニッキー・ヘイデンがストーナーのチームメイトとなり、カーボンフレームのドゥカティ・デスモセディチGP9でシーズンを戦った。ストーナーは体調不良に苦しみ、シーズン中盤の3戦を欠場、その間の代役はミカ・カリオが務めた。 はライダーに変更はなく、ストーナー4年目、ヘイデン2年目のシーズンを迎えた。前年までチーム代表を務めていたリビオ・スッポはHRCに移籍し、ビットリアーノ・グアレスキが新代表となった〔http://www.motogp.com/en/news/2009/Livio+suppo+leaves+ducati+marlboro〕。 シーズン、ストーナーはホンダワークスに移籍し、代わってバレンティーノ・ロッシがヘイデンのチームメイトを務めることとなった〔http://www.sanspo.com/sports/news/100817/spq1008170507001-n1.htm〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドゥカティ・コルセ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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