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グスターボ・アドルフォ・ドゥダメル・ラミレス(Gustavo Adolfo Dudamel Ramírez, 1981年1月26日 - )はベネズエラの指揮者〔日本語での表記について「グスターヴォ」または「グスタヴォ」などと書かれたものも散見されるが、これは不正確である。スペイン語では「v」はbの発音と同じになるためである。〕。バルキシメト生まれ。 == 略歴 == ユース・オーケストラやサルサ・バンドでトロンボーン奏者として活動していた父親と声楽家の母親の元で幼い頃から音楽に親しみ、5歳頃からエル・システマによる音楽教育を受け始める。10歳でヴァイオリンを選択し、12歳のときにコンサートマスターを務めていた地元のユース弦楽合奏団で指揮にも取り組むようになり、Rodolfo Saglimbeniやホセ・アントニオ・アブレウにも教えを受けながら1996年には同楽団の音楽監督になる。 1998年にアブレウの招きでカラカスに移り、1999年にはシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの音楽監督となり、同楽団や首席指揮者を務めているアメリカ州ユース管弦楽団 などと世界各地で演奏することで注目を集める。 2002年にブエノスアイレスでシャルル・デュトワのマスタークラスを受講し、2003年にはサイモン・ラトルの招きによりベルリンやザルツブルクでアシスタントの仕事をする一方で、クラウディオ・アバドも彼をマーラー室内管弦楽団に招いている。2004年にバンベルクで開かれた第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールに優勝し、一躍脚光を浴びる存在となった〔なお、このコンクールの審査員の一人はエサ=ペッカ・サロネン。〕。 2006年には、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮し、ベートーヴェンの交響曲第5番、第7番やマーラーの第5交響曲をドイツ・グラモフォンに録音し、その覇気あふれる演奏で話題となった。同年にはベルリンのダニエル・バレンボイムの元で学んだ後にミラノのスカラ座で『ドン・ジョバンニ』の新演出を指揮している。ドイツ・グラモフォンと専属契約。 2007年には、ローマ教皇ベネディクト16世の80歳を記念する公演でのドヴォルザークの『新世界より』が、全ヨーロッパにテレビで生中継され、2008年にはベルリン国立歌劇場に『ラ・ボエーム』でデビューした。また、2009年にはタイム誌のThe 2009 TIME 100に選出されている。 コンサートではヒナステラなどの、地元南米の作曲家の作品も積極的に取り上げている。他の楽団にはない、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラならではの開放感もあって、聴衆の人気を集めている。 2007年からはエーテボリ交響楽団の首席指揮者に、2009年からはロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督となる。2008年12月来日。 2010年12月31日、ベルリン・フィルハーモニーホールにおいてベルリン・フィル ジルヴェスター・コンサート 2010を指揮した。 2012年第54回グラミー賞で、ロサンジェルス・フィルハーモニックと共演したブラームス交響曲第4番がベスト・オーケストラ・パフォーマンス賞を受賞した。 2013年 9月にミラノ・スカラ座と来日。NHK音楽祭にてヴェルディ・ガラコンサート、『アイーダ』を演奏会形式で取り上げた。 しゃべくり007にて松本潤が『会いたい人』の1人に挙げたことがきっかけで若い層にも知られるようになった。当日、偶然にも5年ぶりに日本にはいたが地方でコンサートがありスタジオに登場する事は出来なかったが、VTRで出演した。松本は「YouTubeでウエストサイドストーリーの『mambo』の演奏を見て衝撃を受けた」(おそらくニューイヤーコンサートと思われる)と語っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グスターボ・ドゥダメル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gustavo Dudamel 」があります。 スポンサード リンク
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