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ドゥレーブィ族 : ミニ英和和英辞書
ドゥレーブィ族[どぅれーぶぃぞく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドゥレーブィ族 : ウィキペディア日本語版
ドゥレーブィ族[どぅれーぶぃぞく]
ドゥレーブィ族〔和田春樹『ロシア史』p17〕(ドゥレビ族)〔國本哲男『ロシア原初年代記』p12〕〔伊東孝之『ポーランド・ウクライナ・バルト史』p40〕(、、、)は6世紀 - 10世紀初頭の東スラヴ民族の部族連合の1つである。
ドゥレーブィ族はプラハ文化コルチャク文化クルガンと関係している。またジムニヴシク城址(uk)はドゥレーブィ族の鍛冶工業の中心地として注目すべき史跡である。
オレグ・トルバチェフ(ru)の説では、ドゥレーブィ族の名はゲルマン系の言語に由来するものであり、それは隣接していた古代西ゲルマン民族の分布圏(ヴィェルバルク文化)から証明されるという。また、ドゥレーブィ族はヴォルィニャーネ族ブジャーネ族ドレヴリャーネ族ドレゴヴィチ族と、おそらく一部のポリャーネ族の祖先にあたるとみなす説がある〔 〕。
ドゥレーブィ族は7世紀アヴァール人の侵略にさらされた。907年にはキエフ大公オレグの東ローマ遠征(ru)に、ヴァリャーグや他の東スラヴの部族と共に参加した〔國本哲男『ロシア原初年代記』p30〕。この遠征はキエフ大公国側に利する和平条約(ルーシ・ビザンツ条約 (907))の締結をもって終結した〔國本哲男『ロシア原初年代記』p30-32〕。その後、10世紀半ばにドゥレーブィ族(史料の上ではこのときは既にヴォルィニャーネ族・ブジャーネ族と呼ばれていた)はキエフ大公国に組み込まれた。
==脚注==
注釈
出典


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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