翻訳と辞書
Words near each other
・ ドゥルーズ
・ ドゥルーズ派
・ ドゥル族
・ ドゥレイロン・バーンズ
・ ドゥレモン
・ ドゥレーブィ族
・ ドゥロス・フォス
・ ドゥロス号
・ ドゥローニア
・ ドゥロ侯
ドゥロ侯爵
・ ドゥロ男爵
・ ドゥワイト・アーリントン・マイアーズ
・ ドゥワップ
・ ドゥン
・ ドゥンカー
・ ドゥンガ
・ ドゥンガン語
・ ドゥンガ語
・ ドゥンギ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ドゥロ侯爵 : ミニ英和和英辞書
ドゥロ侯爵[こうしゃく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo 
侯爵 : [こうしゃく]
 【名詞】 1. marquis 2. marquess 

ドゥロ侯爵 ( リダイレクト:ウェリントン公爵 ) : ウィキペディア日本語版
ウェリントン公爵[うぇりんとんこうしゃく]

ウェリントン公爵()は、イギリス公爵位。1800年の連合法によるグレートブリテン王国アイルランド王国の合同後に創設された連合王国貴族で、連合王国貴族の首席公爵である。爵位名はイングランド南西部、サマセットにあるウェリントンにちなむ。
1814年5月11日、初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリー陸軍元帥が叙位されたことに始まる。彼はナポレオン戦争において軍功を重ね、後にワーテルローの戦い1815年)でナポレオン・ボナパルトを破った人物で、初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルなどと共にイギリスの歴史上屈指の軍人と考えられており、単に「ウェリントン公」といった場合しばしば初代公を指す。
初代公は1809年9月4日にタラヴェラおよびウェリントンのウェリントン子爵()とウェリントンのドゥロ男爵(; ドゥーロ男爵)に、1812年2月28日ウェリントン伯爵()に、1812年10月3日ウェリントン侯爵()に、公爵叙位の際にドゥロ侯爵()に叙されており(以上全て連合王国貴族)、また1863年2代公モーニントン伯爵(; モーニングトン伯爵)・ダンガン城のウェルズリー子爵()・モーニントン男爵()を相続した(以上の3爵位はアイルランド貴族)。このため現在、ウェリントン公爵にはこれらの爵位が付属する。公爵位の法定推定相続人はドゥロ侯爵を、ドゥロ侯爵の法定推定相続人はモーニントン伯爵を儀礼称号として称する。
加えて初代公は、ポルトガル王国の爵位としてヴィトリア公爵(; 1812年叙位、ビトリアの戦いにちなむ。ただしビトリア=ガステイススペイン領)・トレス・ヴェドラス侯爵(; 1812年叙位、彼がリスボン防衛のために築いたトレス・ヴェドラス線()にちなむ)・ヴィメイロ伯爵(; 1811年叙位、ヴィメイロの戦い()にちなむ)に、スペイン王国の爵位としてシウダ・ロドリーゴ公爵(; 1812年叙位、シウダ・ロドリーゴ攻城戦()にちなむ)に、ネーデルラント連合王国の爵位としてワーテルロー公(; 1815年叙位、ワーテルローの戦いにちなむ。ただしワーテルローは現在ベルギー領)に叙されていた。
== ウェリントン子爵 (1809年) ==

* アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン子爵) (1769年 - 1852年)
 * 1812年2月、ウェリントン伯爵に叙位

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウェリントン公爵」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Duke of Wellington (title) 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.