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ドクタースパートとは日本の競走馬、種牡馬である。おもな勝鞍は皐月賞、ステイヤーズステークス、京成杯3歳ステークス、北海道3歳優駿〔。ダート1200メートルと芝3600メートルという異なる距離・馬場をレコードタイムで勝った馬でもある〔『優駿』1991年2月号、日本中央競馬会、159頁〕。 馬名のうち冠名にあたる「ドクター」は馬主が医者だったことにちなんで命名された。 == 戦績 == 馬齢は旧表記(数え年)を用いる。 1988年6月29日、道営競馬・帯広競馬場の新馬戦でデビューし3着だった。2戦目の未勝利戦を2着し、3戦目で初勝利を挙げた。以降は4連勝で北海道3歳優駿をレコードタイムで制し、6戦4勝として中央競馬・美浦の柄崎孝厩舎に転厩した。以後、主戦騎手は的場均がつとめることになる(4歳時の富士ステークスをのぞく)。転厩初戦の京成杯3歳ステークスでも追い込みを決め勝利、連勝を5とした。またこの勝利は道営出身馬初の中央競馬重賞優勝となった。 1989年の初戦はスプリングステークスで、単勝2番人気に支持されるがナルシスノワールの3着に敗れた。皐月賞では、前年の最優秀3歳牡馬を受賞したサクラホクトオー、弥生賞3着馬アンシストリーに次ぐ3番人気であった。雨の影響で不良馬場となったが、ドクタースパートにとってこれは好材となった。レースはマイネルムートが逃げ、サクラホクトオーは先団、ドクタースパートはその後ろにつけた。最後の直線でオースミシャダイを交わすとウィナーズサークルの猛追をしのぎきって優勝、道営出身馬初の中央GI制覇となった。しかし、東京優駿では14着に大敗した。秋初戦は父ホスピタリテイが中央で唯一敗れた富士ステークスで、2番人気も9着に敗れた。以降は6戦して掲示板(5着以内)にも載れない走りが続いた。 1990年12月8日のステイヤーズステークスで1年8か月振りに勝利したが、屈腱炎を発症し引退することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドクタースパート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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