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ドディ・ボーイ・ペニャロサ(Dodie Boy Penalosa、男性、1962年11月19日 - )は、フィリピンのプロボクサー。身長165cm。元世界2階級制覇王者(ライトフライ級、フライ級)。 ペニャロサ三兄弟の長男であり、次男のジョナサン・ペニャロサはフライ級での世界挑戦経験があり、三男のジェリー・ペニャロサも世界2階級制覇王者。父親のカール・ペニャロサも藤猛のOBF東洋スーパーライト級王座に挑戦経験がある。 == 来歴 == 1982年2月28日、プロデビュー。 1982年11月26日、フィリピンライトフライ級王座を獲得した。 1983年3月18日、OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦で金成南()と対戦し、11回TKO勝ちで王座を獲得した。 1983年6月11日、佐藤勝美(/内野ジム)と対戦し、判定勝ちで初防衛に成功した。 1983年12月10日、初代IBF世界ライトフライ級王座決定戦で新垣諭(/奈良池田ジム)と対戦し、12回TKO勝ちで初代王座を獲得した。 1984年11月26日、崔漸煥()と対戦し、判定勝ちで2度目の防衛に成功した。 1985年10月12日、ヤニ・ドコラモ()と対戦し、3回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。 1986年7月5日、IBF世界ライトフライ級王座を保持したままWBA世界フライ級王者イラリオ・サパタ(パナマ)に挑戦し、0-3の判定負けで2階級制覇ならず。キャリア初黒星となった。 1986年10月、IBF世界ライトフライ級王座を返上。 1987年2月23日、IBF世界フライ級王者申喜変()に挑戦し、5回KO勝ちで2階級制覇に成功した。 1987年9月6日、初防衛戦で崔昌鎬()と対戦し、11回KO負けで王座から陥落した。 1989年11月8日、IBF世界フライ級王者デーブ・マコーリー()に挑戦し、1-2の判定負けで王座返り咲きならず。 1993年12月14日、ピューマ渡久地(/埼玉池田ジム)と対戦し、判定負け。 1995年8月12日の試合を最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドディ・ボーイ・ペニャロサ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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