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ドティ・ボーイ・ペニャロサ : ミニ英和和英辞書
ドティ・ボーイ・ペニャロサ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドティ・ボーイ・ペニャロサ ( リダイレクト:ドディ・ボーイ・ペニャロサ ) : ウィキペディア日本語版
ドディ・ボーイ・ペニャロサ[ちょうおん]

ドディ・ボーイ・ペニャロサDodie Boy Penalosa、男性、1962年11月19日 - )は、フィリピンプロボクサー。身長165cm。元世界2階級制覇王者(ライトフライ級フライ級)。
ペニャロサ三兄弟の長男であり、次男のジョナサン・ペニャロサはフライ級での世界挑戦経験があり、三男のジェリー・ペニャロサも世界2階級制覇王者。父親のカール・ペニャロサも藤猛OBF東洋スーパーライト級王座に挑戦経験がある。
== 来歴 ==
1982年2月28日、プロデビュー。
1982年11月26日、フィリピンライトフライ級王座を獲得した。
1983年3月18日OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦で金成南()と対戦し、11回TKO勝ちで王座を獲得した。
1983年6月11日佐藤勝美(/内野ジム)と対戦し、判定勝ちで初防衛に成功した。
1983年12月10日、初代IBF世界ライトフライ級王座決定戦で新垣諭(/奈良池田ジム)と対戦し、12回TKO勝ちで初代王座を獲得した。
1984年11月26日崔漸煥()と対戦し、判定勝ちで2度目の防衛に成功した。
1985年10月12日、ヤニ・ドコラモ()と対戦し、3回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。
1986年7月5日、IBF世界ライトフライ級王座を保持したままWBA世界フライ級王者イラリオ・サパタ(パナマ)に挑戦し、0-3の判定負けで2階級制覇ならず。キャリア初黒星となった。
1986年10月、IBF世界ライトフライ級王座を返上。
1987年2月23日、IBF世界フライ級王者申喜変()に挑戦し、5回KO勝ちで2階級制覇に成功した。
1987年9月6日、初防衛戦で崔昌鎬()と対戦し、11回KO負けで王座から陥落した。
1989年11月8日、IBF世界フライ級王者デーブ・マコーリー()に挑戦し、1-2の判定負けで王座返り咲きならず。
1993年12月14日ピューマ渡久地(/埼玉池田ジム)と対戦し、判定負け。
1995年8月12日の試合を最後に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドディ・ボーイ・ペニャロサ」の詳細全文を読む




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