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ドミニク・シャピュイ(Dominique Chapuis、1948年 - 2001年11月4日 パリ)は、フランスの撮影監督。日本では『マルチニックの少年』、『ショアー』、『小さな泥棒』のカメラマンとして知られる。 == 来歴・人物 == 1948年に生まれる。1971年、23歳のとき、5歳年上の撮影監督ピエール=ウィリアム・グレンの助手として、ジャック・リヴェット監督の12時間を越える映画『アウトワン』のハードな現場で映画界でのキャリアを始める。1975年、ジェローム・サヴァリ監督の『''La Fille du garde-barrière''(門番の娘)』で撮影監督に抜擢されつつも、リヴェット監督の撮影監督交代にともない、ウィリアム・リュプチャンスキーの助手となる。 1975年、『ノロワ』や『デュエル』といったリヴェットの長尺作品を手がける一方で、リュプチャンスキーとともにグルノーブルに出向き、ジャン=リュック・ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの前衛的ドキュメンタリービデオ作品『6x2』(1976年)や『二人の子どもフランス漫遊記』(1977年 - 1978年)を撮影する。リヴェットの芝居を長まわしで撮るスタイル、ゴダールのドキュメンタリービデオで培った技術が結実するのは、クロード・ランズマン監督の9時間半のドキュメンタリー大作『ショアー』(1985年)であった。2001年、シャピュイ突然の死去の年まで、ランズマンの映像を支えることになる。 女性監督ユーザン・パルシー監督の『マルチニックの少年』(1983年)のヒットのためか、ナタリー・ドロン、ジョジアーヌ・バラスコ、ブリジット・ロユアン、ミリアム・ボワイエといった女優系を中心として、エレイン・プロクター、ナディーヌ・トランティニャン、ジャンヌ・ヴァルツら多くの女性監督の作品を手がけた。 また助手時代に参加した唯一のフランソワ・トリュフォー作品『アメリカの夜』(1973年)で現場の製作主任だったクロード・ミレールのシャルロット・ゲンスブール主演作品を2本(『なまいきシャルロット』1985年、『小さな泥棒』1988年)の撮影監督をつとめている。 国境をやすやすと越境するタイプのカメラマンで、アメリカ映画でもジャマイカ映画でも、スペイン人の監督とでもポルトガル人の監督とでもマルティニーク人の監督とでも仕事をこなした。 2001年11月4日、パリでガンにより死去。53歳没。仕事量は減っておらず、むしろピークであったといえる時期の突然の死であった。奇しくも撮影監督ラウール・クタールの弟子クロード・ボーソレイユと同年齢での死である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドミニク・シャピュイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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