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ジン(英語:''Gin'')とは、大麦、ライ麦、ジャガイモなどを原料とした蒸留酒。ジュニパーベリー(''Juniper berry''、主にセイヨウネズの球果)の上に流すことによって香り付けがされているのが特徴的。日本の酒税法上はスピリッツに分類される。蒸留酒の中では比較的個性が強くない上、西ヨーロッパでは古くから知られているため、そのまま飲むだけでなく、カクテルの材料として最も多く使われているものの一つである。 == 歴史 == *11世紀頃にイタリアの修道士がジェニパーベリーを主体としたスピリッツを作っていた記録があるのが発祥とされる説が現在は有力。 * 1660年、オランダのライデン大学の医学部教授、フランシスクス・シルヴィウスが作った解熱・利尿用薬用酒、ジュニエーヴェル・ワイン (ジェネヴァ) がその起源。しかし、普通に飲んでも美味なため一般化していった。 * 1689年、オランダの貴族であったオレンジ公ウイリアム(ウィリアム3世)がイングランド国王として迎えられた際にこの酒もイギリスに持ち込まれ、人気を博するようになった。その際、名前も短くジンと呼ばれるようになった。 * 19世紀半ばに連続式蒸留器が発明されると、これまでより飛躍的に雑味が少なく、度数の高いスピリッツが蒸留できるようになり、ジンの製法も大きく様変わりした。原料自体は大きく変わらないが、まず連続式蒸留器でアルコール度数の高いスピリッツを作り、そこにジュニパーベリーなどの副材料を加えて単式蒸留する。これが現在主流であるドライ・ジン(Dry Gin,「ロンドン・ジン」とも呼ばれる)である。 18世紀、産業革命に前後してロンドンなどの大都市に労働者が流入しスラム街が形成された。そして、低所得者の間にジン中毒ともいえる現象が起こっていた。ウィリアム・ホガースの銅版画『』はこのようなイメージから生まれたものであり、健康的な「ビール通り」と対比した堕落し、悪徳にまみれた街を「ジン横丁」として描いている。19世紀に入るとジンとそれにまつわる社会悪に関する関心が高まり、1830年代のアンチ・スピリット運動へと発展していった。ジンは、価格が安いわりにアルコール度数が高く、「労働者の酒」「不道徳な酒」というイメージがあり、貴族や健全な者の飲む酒ではないとされた。当時花婿の出費会計書に「ジン」の名が入っていたことを知った花嫁の親が婚約を解消したという逸話があるほどである。 20世紀にはカクテルベースとして上流階級の間でも一般的になり、名門貴族の出であるウィンストン・チャーチルなどは、ほとんどストレートのジンに近い特注のエクストラ・ドライ・マティーニを愛飲していたという。 日本で初めてジンが蒸留されたのは、フランス革命戦争で本国を失い補給を絶たれた長崎出島のオランダ人のために、長崎奉行所の茂伝之進が文化9年(1812)にオランダ人の協力を得てジンやブランデー、ビールを作ったのが始まりと言われている。当時カピタンだったヘンドリック・ドゥーフの『日本回想録』にはその時の経緯と、ネズの匂いが強すぎてあまりいい出来ではなかったという感想が記されている〔鈴木晋一 『たべもの史話』 小学館ライブラリー、1999年、pp162-163〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジン (蒸留酒)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gin 」があります。 スポンサード リンク
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