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マリオ・ドラギ(Mario Draghi、1947年9月3日 - )は、イタリアの経済学者。2011年11月1日より欧州中央銀行総裁(第3代)。過去にイタリア銀行総裁を歴任した。 == 来歴 == ローマ生まれ。ローマ・ラ・サピエンツァ大学を卒業したのち、1976年にマサチューセッツ工科大学で経済学博士号を取得。1981年から1991年まではフィレンツェ大学で教授をつとめており、1984年から1990年のあいだ世界銀行のエクゼクティブ・ディレクターもつとめていた。 1991年4月、第7次アンドレオッティ内閣で経済財務省総務局長(伊:w:it:Direttore generale del Ministero del Tesoro)就任。イタリア経済は第二次世界大戦後の復興の過程で炭化水素公社(Eni)や産業復興公社(IRI)などの半官半民企業が大きく力を持っていたが、ドラギは、国家が大企業の役割を果たす仕組みは危険だと考え、その恒久的解決策として民営化を提唱、ドラギの学術顧問らもそれを支持した。折しもドラギの就任当時、政府は企業からの汚職スキャンダルに激しく揺れており、幾人かの有力政治家が非難を浴びている状況だった。1993年、民営化委員会の議長に就任したドラギは、電気通信事業のテレコム・イタリアを手始めに大規模な民営化を実施。1999年までに市場価値(日本円に換算すると)10兆円規模の民営化を行った。民営化による収益は政府債務の圧縮に貢献し、EU参加のためのマーストリヒト条約基準にも適合することとなった。イタリアのコーポレートガバナンスを規定した法律の立案にも大きく関わっており、「ドラギ法」という名で知られている。 その後は2002年から2006年までゴールドマン・サックス副会長、2006年1月16日にイタリア銀行総裁に就任。総裁就任後最初の大役として2006年4月、G7参加国をはじめオーストラリア・香港・オランダ・シンガポールなど、異なる国と地域の金融・中銀関係者から構成された金融安定化フォーラムの議長をつとめている。またドラギはプリンストン高等研究所やブルッキングス研究所の理事、G30の参加メンバーでもあることでも知られている。 2011年11月1日、ジャン=クロード・トリシェの後任として、第3代欧州中央銀行総裁に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリオ・ドラギ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mario Draghi 」があります。 スポンサード リンク
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