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DRAGON FIRE
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ドラゴンファイヤーは日本の競走馬である。全兄にユニコーンステークスの優勝馬ナイキアースワークがいる。馬名の由来は「龍+炎」。初代馬主の窪田康志は、株式会社AKSの代表取締役。 == 経歴 == 2004年のセレクトセール当歳にて3800万円で落札された。 2006年11月にデビューし、2番人気で2着だった。2007年、デビュー2戦目の未勝利戦で初勝利。その後デビュー5戦目となる500万下特別戦を2着に5馬身差をつけて勝利すると、続いてG3ユニコーンステークスに向かった。しかし、レース直前に故障のため競走除外となる。その後は古馬に混じってのレースが続いたが麒麟山特別、オークランドレーシングクラブトロフィーと条件戦を連勝し、シリウスステークスに出走。このレースは前年のジャパンカップダート馬アロンダイトの復帰戦としても注目を集めた。レースでは中団を進み、直線で馬群に囲まれて立往生したものの、直線半ば過ぎでようやく前が開くと、一気に抜け出して重賞初勝利を収めた。このシリウスステークスの勝ち方から、続く第8回ジャパンカップダートでは2番人気に支持されたが、6着に敗れた。レース後は水野馬事センターに放牧された。 帰厩後、2008年は平安ステークスから始動するが、9着に敗れた。次走はフェブラリーステークスに登録を行い、当初は除外対象であったが、ダイワスカーレットが直前に回避したため出走が可能となった。しかし結果は9着だった。さらに続くマーチステークスでも9着と、不調が続いていたが、アンタレスステークスで2着に入り、復調を伺わせる。しかしエルムステークスでは6着、連覇を狙うシリウスステークスでは5着に敗れる。 続くオープン特別ブラジルカップでは6着に敗れた。次走は初の芝レースとなるステイヤーズステークス。しかし、人気通りの5着だった。 2009年はダイヤモンドステークスから始動するが、7着に敗れた。その後、久々のダート戦となった仁川ステークスでは4着だった。その後、6月の福島テレビオープンに出走したが、5着に敗れた。 2011年3月6日の仁川ステークスで1年9カ月ぶりに実戦復帰したが13着に敗れた。その後JRAの競走馬登録を抹消され、大井の月岡健二厩舎へ移籍した。移籍緒戦のゆりかもめオープンは6着、続くサンタアニタトロフィーは13着に敗れた。その後、現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドラゴンファイヤー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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