翻訳と辞書
Words near each other
・ ドラゴン紫龍
・ ドラゴン航空
・ ドラゴン酔太極拳
・ ドラゴン銀行
・ ドラゴン電光石火'98
・ ドラゴン電光石火98
・ ドラゴン青年団
・ ドラゴン騎士団
・ ドラゴン騎士団 (漫画)
・ ドラゴーニ
ドラザン・イェルコビッチ
・ ドラジェ
・ ドラジェン・ペトロヴィッチ
・ ドラジビュス
・ ドラジャン・イェルコヴィッチ
・ ドラジャ・ミハイロヴィッチ
・ ドラス
・ ドラスピ
・ ドラスレ
・ ドラスレファミリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ドラザン・イェルコビッチ : ミニ英和和英辞書
ドラザン・イェルコビッチ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ドラザン・イェルコビッチ ( リダイレクト:ドラジャン・イェルコヴィッチ ) : ウィキペディア日本語版
ドラジャン・イェルコヴィッチ

ドラジャン・イェルコヴィッチDražan Jerković, 1936年8月6日 - 2008年12月9日) は、ユーゴスラビアクロアチア)出身のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード
== 経歴 ==
ユーゴスラビア代表としては1960年5月11日に行われたイングランド代表との国際親善試合でデビューをした〔。1962年チリで開催された1962 FIFAワールドカップで4得点を挙げ、ガリンシャババレオネル・サンチェスアルベルト・フローリアーンワレンチン・イワノフと並び得点王となった〔。1964年9月27日に行われたオーストリア代表戦を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ21試合に出場し11得点を記録した〔。
クラブレベルでは1954年から1965年にかけてディナモ・ザグレブに在籍するとリーグ戦142試合に出場し96得点を記録〔、1957–58シーズンにはリーグ優勝に貢献し1961-62シーズンにはリーグ得点王となった〔。1965年にベルギーのKAAヘントへ移籍したが1シーズン限りで現役を引退した〔。
引退後は指導者となり、ディナモ・ザグレブやNKザグレブといったクラブチームのほか、1990年に発足したクロアチア代表の初代監督を務めた。
晩年は糖尿病を患い、2008年12月9日に死去した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドラジャン・イェルコヴィッチ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.