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『ドリトル先生アフリカゆき』(ドリトルせんせいアフリカゆき、''The Story of Doctor Dolittle'')は、アメリカ合衆国(米国)で活動したイギリス出身の小説家〔ロフティングはアメリカの永住権を取得した後も生涯、イギリス国籍を保持していたことから通例はイギリス文学に分類されるが、最初の出版が米国で行われたことからアメリカ文学に分類される場合もある。〕、ヒュー・ロフティングにより1920年に発表された児童文学作品。初刊は米国で〔、イギリスでは1922年に出版された。1958年に第1回を受賞している〔この際の受賞作はA・A・ミルン『クマのプーさん』やビアトリクス・ポター『ピーターラビットのおはなし』など17作品で、本作はその中の1点である。〕。 原書の正式な表題は''"The Story of Doctor Dolittle, being the history of his peculiar life at home and astonishing adventures in foreign parts"'' (ドリトル博士の物語、彼の家庭における独特の生活と外国での驚くべき冒険に満ちた半生について)であるが、日本で本作を最初に紹介した井伏鱒二が表題を「ドリトル先生アフリカゆき」としたことから、以後の翻訳でもこれに類する邦題が付けられることが多い。ドイツ語版では''"Doktor Dolittle und seine Tiere"'' (ドリトル先生と動物達)との訳題が付けられている。 == 概要 == 『ドリトル先生』シリーズの第1作。本作はもとより、シリーズ全作品で著者のロフティング自身が挿画も手がけている。 ロフティングは米国やカナダ、キューバ、西アフリカなど各地で土木技師として従事した後、1916年にイギリス陸軍・アイリッシュガーズ連隊の志願兵として従軍した。その際に負傷した軍用馬が治療も受けられないまま射殺される光景に心を痛めたことが動機となって、2人の子供に宛てた手紙の中で自身が創作した動物の言葉を解する獣医師・ドリトル先生の物語を書き送った。1917年に西部戦線で重傷を負ったロフティングはアイルランド(当時は南部を含め全域が連合王国領)へ帰国し、療養生活に入るが1919年にアイルランド独立戦争が勃発し、戦火を逃れるために家族全員で妻の母国である米国へ移り住むことにする。大西洋を横断する船内でロフティングは同じ船に乗り合わせていた小説家・ジャーナリストのセシル・ロバーツからドリトル先生の物語を出版するよう強く勧められ〔南條, p16。〕、1920年にF・A・ストークス社より本作が出版された。 米英におけるシリーズ各巻の初版本は、米国のストークス(10巻『秘密の湖』以降はリッピンコット)版とイギリスのジョナサン・ケープ版(概ね米国の1 - 2年遅れで刊行)で共通の表紙画(表紙デザインは異なる)を用いているが、本作に限り米英でそれぞれ異なる表紙画が用いられている。ストークス版はドリトル先生が子猿を治療している単色のイラストで、ケープ版は先生が伝染病を終息させたお礼に猿たちが盛大な宴会を開いている様子を描いたカラーイラストである。岩波書店が日本で刊行している愛蔵版『ドリトル先生物語全集』はケープ版を底本にしており、第1巻のカラー口絵にはケープ版の表紙と同じイラストが用いられている。表紙デザイン(岩波少年文庫と共通)はケープ版を基にしているが表紙のイラストは異なり、ケープ版では本の折り返し部分に用いられている先生の一行がアフリカへ上陸した場面のシルエット画が使用されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドリトル先生アフリカゆき」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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