|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 教徒 : [きょうと] 【名詞】 1. believer 2. adherent ・ 徒 : [と] 【名詞】 1. party 2. set 3. gang
ドルイド(Druid)は、ケルト人社会における祭司のこと。日本ではドゥルイドとも表記する。 ドルイドは宗教的指導のほか、政治的指導、公私の争い事の調停と、ケルト社会に重要な役割を果たしていたとされる。 カエサルの『ガリア戦記』によれば、ドルイドの社会的影響力はかなり大きかったようである。争い事の調停あるいは裁決をし、必要があれば当事者に賠償や罰金を課した。ドルイドの裁決を不服とした者は、社会的地位や信用を失った。 このほか、ドルイドは兵役や納税を免除される特権的地位にあった。 ドルイドの宗教上の特徴の一つは、森や木々との関係である。プリニウスの『博物誌』によると、ドルイドが珍重したのはヤドリギの中でもロブル(オーク)に寄生した物だけで、彼らはオークの森を聖なる地とした。彼らはヤドリギを飲み物にするとどんな動物も多産となり、あらゆる毒の解毒剤になると信じた〔尤もこうしたドルイドの信仰をプリニウスは完全に迷信と見做していた。〕。 また、近代になって発掘された古代ガリアの奉納物にはオークで作られた物が多い。また、ドルイドが四葉のクローバーなどの希少な植物を崇拝していたということが伝えられている。なお、神木の概念自体はケルト人に留まらず世界中に存在する。 比較宗教学においてドルイドは古代ローマのや古代インドのブラフマンと関連付けられている。 == 古典文献の取扱い == ケルト社会は本来無文字文化であったが、他文明との交流によって文字を獲得した。ガリアのケルト人はラテン文字〔「ワットモウによれば『それまで書字は一般的な行為ではなかったが、ラテン語の流入とともに、自由に使える技術となった。それゆえに曲りなりにも文字が書きはじめられたとき、ほとんど例外なしに、ラテン語とラテン文字が使われることになった』のである。」〕とギリシア文字〔「またガリア南部からは、ギリシア文字で書かれた多数の碑文が発見されている。」〕〔「スイスで出土した前1世紀の鉄の剣には『コリシオス』というケルトの人名がギリシア文字で刻印されていたし、カエサルも曖昧な記述ながらガリアの知識層がギリシアのアルファベットにある程度通じていたことを伝えている。」〕を使用していた。またブリタニアにおいて、ローマ帝国の入植以前にパピルスを輸入した記録があり、ケルト知識層が文字を書き記していたことが伺える。アイルランドのケルトはガリアやブリタニアには遅れるものの、四世紀末にオガム文字を使用していたと思われる。ドルイドはケルト社会における知識層なので、当然識字能力があった〔例えばはドルイドの手によるものとされている。〕。 しかし教義について、ドルイドは文字で記録せず口伝伝承を行った。そのため、ドルイドについての記録はケルトと文化を共有しないギリシアやローマ帝国、修道士たちの「外からの目」によるものしか残されていない。歴史の一部としてドルイドを扱う場合、こうした文献の記述を無批判に受け入れることはできない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドルイド」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Druid 」があります。 スポンサード リンク
|