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ドロテア・ゾフィア・フォン・プファルツ=ノイブルク : ミニ英和和英辞書
ドロテア・ゾフィア・フォン・プファルツ=ノイブルク[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

ドロテア・ゾフィア・フォン・プファルツ=ノイブルク : ウィキペディア日本語版
ドロテア・ゾフィア・フォン・プファルツ=ノイブルク[ぶる]

ドロテア・ゾフィー・フォン・プファルツ=ノイブルク(Dorothea Sophie von Pfalz-Neuburg, 1670年7月5日 - 1748年9月15日)は、パルマ公子オドアルド2世・ファルネーゼ妃、後にパルマ公フランチェスコ・ファルネーゼ妃。イタリア語ドロテア・ソフィア・ディ・ネウブルグ(Dorotea Sofia di Neuburg)。プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世の娘エリーザベト・アマーリアの6女として生まれた。兄にヨハン・ヴィルヘルムカール3世フィリップ、姉に神聖ローマ皇帝レオポルト1世エレオノーレ・マグダレーネポルトガルペドロ2世マリア・ソフィアスペインカルロス2世マリア・アナがいる。
1690年5月17日にパルマ公ラヌッチョ2世の長男オドアルドと結婚、2子を生んだ。
*アレッサンドロ・イニャツィオ(1691年 - 1693年)
*エリザベッタ(1692年 - 1766年) - スペイン王フェリペ5世
1693年9月6日、長男アレッサンドロの死から1ヶ月後にオドアルドが亡くなった。ドロテア・ゾフィアは1695年12月8日、オドアルドの異母弟フランチェスコと再婚した。1694年にフランチェスコはパルマ公となった。
2度目の結婚では子供が生まれなかった。1727年にフランチェスコは亡くなり、兄弟で生き残っていたアントニオが継いだ。ところが、1731年にアントニオも子なくして死に、パルマ公位はエリザベッタの生んだ16歳のカルロ(後のスペイン王カルロス3世)が継いだ。
ドロテア・ゾフィアは、ポーランド継承戦争の結果オーストリア・ハプスブルク家へとパルマ公国が割譲される1735年まで摂政を務めた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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