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ドン・カヌードル : ミニ英和和英辞書
ドン・カヌードル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カヌー : [かぬー]
 【名詞】 1. canoe 2. (n) canoe
ヌード : [ぬーど]
 【名詞】 1. nude 2. (n) nude
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドン・カヌードル : ウィキペディア日本語版
ドン・カヌードル[ちょうおん]

ドン・カヌードルDon Kernodle、本名:Charles Donald Kernodle Jr.1950年5月5日〔 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーノースカロライナ州バーリントン出身〔。
地元ノースカロライナを拠点とするNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズを主戦場に、実力派の中堅選手として活動した〔『THE WRESTLER BEST 1000』P270(1996年、日本スポーツ出版社)〕。スペリングの通り、より原音に近い表記は「ドン・カーノドル」だが、本項では日本で定着している呼称を使用する。
== 来歴 ==
学生時代はパワーリフティングレスリングの選手として鳴らし〔、レスリングではグレコローマン・スタイルのオリンピック代表候補にもなったという〔。カレッジ卒業後の1973年ジム・クロケット・ファミリーが主宰していたNWAの傘下団体ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング(MACW)において、同じくレスリングの強豪だったボブ・ループへのトライアウト・マッチでデビュー〔。
以降、1970年代ベビーフェイスのミッドカード要員としてMACWに定着。1976年にはダン・ミラースウェード・ハンセンと組み、ジート&ボロザ・モンゴルズジャック・グレイ&ミシェル・デュボアなどのチームと対戦した。1977年テキサスアマリロ地区でも活動。1978年8月には全日本プロレスに来日、同時参加したミル・マスカラス&ドス・カラスのマスカラス・ブラザーズと組んでの6人タッグマッチにも出場している。
その後もMACWの前座試合に出場していたが、1982年よりヒールに転向し、サージェント・スローター率いる軍人ユニットのコブラ・コープス(''Cobra Corps'')に加入。"プライベート" ドン・カヌードル(''Pvt. Don Kernodle'')と名乗り、同年5月にジム・ネルソンとの二等兵コンビでジェイ・ヤングブラッド&ポークチョップ・キャッシュからNWAミッドアトランティック・タッグ王座を奪取、キャリア9年目にしてタイトル初戴冠を果たした。ネルソンの離脱後はスローターの正式なパートナーとなり、9月にMACW版のNWA世界タッグ王座を獲得。以降、リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドの人気コンビとタイトルを賭けた抗争を展開した。
1983年5月よりWWFを約半年間サーキットし、ジミー・スヌーカティト・サンタナロッキー・ジョンソントニー・アトラスらと対戦。MACWでの上官役だったサージェント・スローターも同時期にWWFと再契約していたが、WWFでは両者がタッグを組むことはなかった。同年10月16日には、WWFとMACWの両団体と提携していたカナダトロントのメープル・リーフ・レスリングにて、マイク・ロトンドを下しNWAカナディアンTV王座を獲得。MACWに復帰後の1984年1月8日には、空位となっていたNWA世界タッグ王座の争奪トーナメントにボブ・オートン・ジュニアと組んで出場、決勝でドリー・ファンク・ジュニア&ジミー・バリアントを破り、王座に返り咲いている〔。
オートンのWWF移籍後はロシア人ギミックイワン・コロフをパートナーに、悪の米ソ同盟を結成。1984年5月8日、ワフー・マクダニエル&マーク・ヤングブラッドからNWA世界タッグ王座を奪取し、同王座への通算3度目の戴冠を果たす〔。後にイワンの「甥」と称するニキタ・コロフがデビューするとトリオを組んで活動し、同年8月にファビュラス・フリーバーズを破ったとして、MACW版のNWA世界6人タッグ王座の初代王者チームに認定された。
しかし1984年10月20日、ダスティ・ローデス&マニー・フェルナンデスに敗れてNWA世界タッグ王座から陥落したことを機にイワン・コロフと仲間割れ。以降は ''“Pride of the USA”'' をニックネームに愛国者ギミックのベビーフェイスとなり〔、イワン&ニキタおよびクラッシャー・クルスチェフザ・ラシアンズと抗争を展開。ラシアンズと敵対していたロックンロール・エクスプレスとも共闘し、1985年11月28日開催の『スターケード』ではリッキー・モートン&ロバート・ギブソンセコンドを務めた。
その後もMACWを主戦場に、弟のロッキー・カヌードル(キース・ラーソン)とのタッグなどで活動。1986年は、アーン・アンダーソンNWA世界TV王座ブラック・バートのNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座にも挑戦した。同年にMACWを離れてセミリタイアしてからは、地元ノースカロライナのインディー団体に単発的に出場。1990年にはネルソン・ロイヤルが主宰していたアトランティック・コースト・レスリングに登場した〔。2004年から2006年にかけては、カロライナ・レスリング・フェデレーション(CWFミッドアトランティック)の興行にロッキー・カヌードルと組んで出場している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドン・カヌードル」の詳細全文を読む




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