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ドン荒川(ドンあらかわ、1946年3月6日 - )は、日本のプロレスラー。本名は荒川 真(あらかわ まこと)。鹿児島県出水市出身。 == 来歴 == 学生時代は柔道に打ち込む。出水学園出水中央高等学校卒業後上京。レスリングの試合に出場し、ドロップキックを放って反則負けとなるという、後のトンパチ伝説につながるエピソードを残す。ドロップキックをやった相手は後に国会議員となる松浪健四郎だった。 1972年7月、新日本プロレスに入門。9月19日、リトル浜田(後のグラン浜田)戦でデビュー。ともに前座戦線にいた栗栖正伸とは同郷で体格も似ていたことから激しくいがみ合い、両者のシングルマッチは前座試合とは思えないほど熾烈を極めたため、『鹿児島選手権』と称された。1979年、プエルトリコへ初遠征。カルロス・コロンの主宰するWWCにて、ケンドーキムラとのコンビでカリビアン・タッグ王座を獲得した。なお、同遠征での戦績は自己申告であるが46戦45勝1敗で、負けたのは「熊」相手だった。 キャリアを重ねるにつれ、ストロングスタイルと呼ばれるシリアスな戦いを信条としていた新日本の中で唯一、永源遙らを相手に前座戦線で『ひょうきんプロレス』を展開。カンチョー攻撃などで笑いを取る。体格やリング上の(見た目の)スタイルが力道山に似ていたことから、『前座の力道山』とも呼ばれた(テレビ番組で力道山が扱われた際、再現ドラマで力道山役を演じたこともある)。 以降も前座を沸かせるが、UWF、維新軍団、カルガリーハリケーンズと離脱が相次いで薄くなった選手層を補うためにジュニアヘビー級戦線に参戦し、1985年8月にはザ・コブラのNWA世界ジュニアヘビー級王座に挑戦している。また、この時期は選手としてのみならず、道場ではコーチとしての顔も持ち、若手選手のまとめ役となっていた。 1989年3月に1度一線から退いた(本人曰く新日を円満退社しただけで、引退ではないとのこと)が、1990年、SWSの旗揚げに参加して現役復帰。SWS崩壊後も一人メガネスーパー社員としてSWS所属を名乗り、藤原組などに参戦する。1996年、藤原喜明とともに全日本プロレスに初参戦、6人タッグながらジャイアント馬場との対戦が実現した。1997年には全日本プロレスの25周年記念の前夜祭に、馬場&永源遙とトリオを組んで出場。2006年はビッグマウス・ラウドなどへ参戦している。 2007年5月、新日本プロレス創立35周年の節目となる後楽園ホール2連戦で、18年ぶりに古巣マットに登場。いずれも第1試合で若手をコミカルなファイトで下し、健在ぶりをアピールした。 2011年3月6日、NJPWグレーテストレスラーズを受賞〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドン荒川」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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