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オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール(Augustin Pyramus de Candolle または Augustin Pyrame de Candolle、1778年2月4日 – 1841年9月9日)は、スイスの植物学者である。王立協会外国人会員。 カンドールはチャールズ・ダーウィンのと自然淘汰の原理に影響を与えた "自然の戦争"の考え方を示し、異なる種が、類似する環境のもとで、同じような性質を発達させるいわゆる「相似(analogy)」の現象を認識した〔Desmond, Adrian; Moore, James (1991). Darwin. London: Michael Joseph, Penguin Group. ISBN 0-7181-3430-3.〕。一定の光の下でも、植物の葉の動きが日変化することを認識し、植物に内部的な生物時計があることを主張した。 オーギュストの子孫、アルフォンス・ドゥ・カンドール(Alphonse de Candolle)やカジミール・ピラミュ・ドゥ・カンドール(Casimir Pyrame de Candolle)も分類学の研究に貢献し、オーギュスタンが編集を始めた、植物カタログ''Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis''の作成を行った。 == 生涯 == ジュネーヴに役人の息子に生まれた。先祖は16世紀に宗教迫害からジュネーヴに逃れたフランスの名家であった〔Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Candolle, Augustin Pyrame De". Encyclopædia Britannica (11th ed.). Cambridge University Press. http://www.gutenberg.org/files/33052/33052-h/33052-h.htm#ar78.〕。7歳の時に水頭症にかかるが、文学などに才能をみせた。Collège Calvinでジャン=ピエール・ヴォーシェ(Jean Pierre Étienne Vaucher)に学び、植物学を研究することを決めた。1796年にデオダ・ドゥ・ドロミューの招きをうけてパリに赴き、1798年に René Louiche Desfontaines の助けで シャルル=ルイ・レリティエ・ドゥ・ブリュテルの薬草園で働いた。この仕事で評価を受け、1799年に最初の著書、''Plantarum historia succulentarum'' を出版し、1802年に''Astragalogia'' を出版した。ジョルジュ・キュヴィエやラマルクの注目するところとなり、キュビエの推薦で、1802年にコレージュ・ド・フランスで仕事を得た。ラマルクから植物誌、''Flore française'' の第3版の編集を任された。この仕事で、カール・フォン・リンネの人工的分類法と異なる、植物の特徴に従う自然分類法を採用した〔Gray, Asa; Sargent, Charles (1889). Scientific papers of Asa Gray: Selected by Charles Sprague Sargent. Houghton Mifflin. http://books.google.com/books?id=_48KAAAAMAAJ&pg=PA292. Retrieved 15 May 2011.〕。 1804年に''Essai sur les propriétés médicales des plantes''を出版し、パリ大学の医学部から医学の学位を得た。2年後 ''Synopsis plantarum in flora Gallica descriptarum''を出版した。その後6年間、フランス政府の求めで、フランス各地の、植物、農業の調査を行った。1807年モンペリエ大学医学部の植物学の教授に任じられた。1813年にThéorie élémentaire de la botaniqueを出版し、始めて分類体系(taxonomy)という用語を使った。1816年にジュネーヴに戻り、1834年までジュネーヴ大学で植物学と動物学の教授を務めた。1817年にはジュネーヴで最初の植物園を設立した。 その後は植物の完全な分類をめざす著作''Regni vegetabillis systema naturale''の執筆に費やすが、2巻を発行した時点で大規模なプロジェクトの完成を断念し、1824年からより小さい''Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis''の刊行を始め、構想の2/3の、7巻を完成した。種を100以上の属に実証的な特徴で分類を行った。 オーギュストの子孫は3世代にわたって植物学者となった。息子のアルフォンス・ドゥ・カンドールもオーギュストの仕事を引き継ぎ、比較形態学、植物分類学、植物地理学などでの業績で知られ、孫のカシミール・ピラミュ・ドゥ・カンドールも''Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis''の補遺、改訂を行った。ひ孫のRichard Emile Augustin de Candolleも植物学者となった。 植物の属 ''Candollea'' と ''Candolleodendron'' の属名は彼に献名されている。分類学の科学誌『Candollea』はカンドール一族の貢献から誌名にされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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