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ドースト・アリー・ハーン : ミニ英和和英辞書
ドースト・アリー・ハーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドースト・アリー・ハーン : ウィキペディア日本語版
ドースト・アリー・ハーン[ちょうおん]

ドースト・アリー・ハーン(Dost Ali Khan, 生年不詳 - 1740年5月20日)は、南インドカルナータカ太守(在位:1732年 - 1740年)。
== 生涯 ==
1713年カルナータカ太守サアーダトゥッラー・ハーンムガル帝国から独立したのち、兄グラーム・アリー・ハーンの息子ドースト・アリー・ハーンを帝国の正式認可なく後継者とした。
1732年、サアーダトゥッラー・ハーンが死亡したことにより、ドースト・アリー・ハーンが太守位を継承した。
カルナータカ地方政権は南インドに広大な領土を領有したため、マイソール王国タンジャーヴール・マラーター王国マドゥライ・ナーヤカ朝をはじめとする諸勢力と争った。
ドースト・アリー・ハーンの治世、イギリスフランスオランダ勢力が南インド各地に拠点を築いて貿易活動を展開していたが、彼はそれを認めるなど、非常に寛容な態度をとった。
また、1736年にその娘婿であるチャンダー・サーヒブはマドゥライ・ナーヤカ朝を滅ぼし、版図の拡大に成功した〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.38〕。さらには、チャンダー・サーヒブはこの勝利に乗じて、タンジャーヴール・マラーター王国の領土にさえ攻め入った。
だが、これにより、タンジャーヴール・マラーター王国は首都タンジャーヴールを危うくされ、1740年4月ナーグプルラグージー・ボーンスレーの遠征軍が攻め入った〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.197〕〔Nagpur District Gazetteer 〕。
同年5月20日にカルナータカ地方政権は応戦したが敗北し(ダーマルチェルヴの戦い)、ドースト・アリー・ハーンは殺害され、アルコットは落とされて占領された〔〔Advanced Study in the History of Modern India 1707-1813 - Jaswant Lal Mehta - Google Books


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドースト・アリー・ハーン」の詳細全文を読む




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