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ドーチェスター高地の要塞化(ドーチェスターこうちのようさいか、)は、アメリカ独立戦争の2年目、1776年3月4日の夜半にボストン港を見下ろす高台を大陸軍が要塞化した行動であり、1年間近く続いていたボストン包囲戦を終わらせ、イギリス軍がボストンから撤退する切っ掛けを作った。 ドーチェスター高地はボストン市とその港を見下ろす一連なりの低い丘であり、ここにジョージ・ワシントン将軍が指揮する大陸軍が強力な大砲を設置した。ボストン市を占領していたイギリス軍を指揮するウィリアム・ハウ将軍は、これらの大砲が自軍や港の艦船の脅威となるので要塞を排除する作戦を検討した。しかし、暴風雪にその作戦も遮られ、ボストン市の明け渡しを決断した。ボストン包囲戦の間に市内に逃げ込んでいたロイヤリストを伴ったイギリス軍は3月17日に市を離れ、海軍の艦船でノバスコシアのハリファックスに向った。 == 背景 == アメリカ独立戦争の開戦を告げたレキシントン・コンコードの戦いの後、1775年4月19日にボストン包囲戦が始まっていた〔Frothingham (1903), pp. 91–93〕。この包囲戦を支援する為にコネチカットの民兵隊を率いて来ていたベネディクト・アーノルドがマサチューセッツ安全委員会に、防御の薄いタイコンデロガ砦に大砲など貴重な軍需物資が保管されていると伝え、その捕獲を提案した。5月3日、安全委員会はアーノルドに大佐の位を与え、部隊を組織して砦奪取の任にあたることを承認した〔Palmer (2006), pp. 84–85〕。アーノルドはイーサン・アレンとその配下部隊であるグリーンマウンテンボーイズと協働し、コネチカットから連れてきていた民兵隊にマサチューセッツ西部の民兵隊を加え、5月10日にタイコンデロガ砦を奪取し、その軍需物資を捕獲した〔Palmer (2006), pp. 88–90〕。 ジョージ・ワシントンが1775年6月にボストン郊外に駐屯していた大陸軍の指揮官に就任した後、ヘンリー・ノックス大佐が包囲戦のためにタイコンデロガ砦から大砲を運んでくることを提案した。結局ノックスはタイコンデロガからケンブリッジまでその武器を運ぶ任務を与えられた。ノックスは11月にタイコンデロガに赴き、冬季の3ヶ月を要して、総量60トンに及ぶ大砲などの武器を運んだ。これには船、馬や牛に曳かせた橇、および人力を用い、質の良くない道路を進み、半分凍った川を渉り、人もほとんど住んでいないバークシャーズの森や湿地を抜けて、ボストン地域にたどり着いた〔Ware (2000), pp. 19–24〕〔N. Brooks (1900), p. 38〕。歴史家のビクター・ブルックスはノックスの功績を、この戦争全体の中で「最も途方も無い兵站業務の功績の一つ」と呼んだ〔V. Brooks (1999), p. 210〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドーチェスター高地の要塞化」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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