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ロサンゼルス・ドジャース(、略称:''LAD'')は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はカリフォルニア州ロサンゼルスにあるドジャー・スタジアム。チームカラーの青はドジャーブルーとして知られている。 == 概要 == 創設は。1947年にアフリカ系アメリカ人として初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンがデビューした球団として知られる。創設以来、ニューヨーク(ブルックリン区)を本拠地としていたが、1958年に現在のロサンゼルスに本拠地を移した。同年にはニューヨーク・ジャイアンツも同じく西海岸のサンフランシスコに本拠地を移し、サンフランシスコ・ジャイアンツと名乗っている。 リーグ優勝21回はジャイアンツに次ぐナショナルリーグ2位(MLB全体ではニューヨーク・ヤンキースが1位)、ワールドシリーズ優勝は6回を数える。ワールドシリーズ初優勝を遂げる1955年までに10回のリーグ優勝をしているが、ワールドシリーズではことごとく敗れ続けた。特に当時本拠地を同じとしていたヤンキースとの対戦が多く、1955年に6回目の挑戦で初めてヤンキースを破っている。ロサンゼルス移転後のワールドシリーズ優勝は、ロビンソンが活躍した1950年代、ロサンゼルスに本拠地を移した後サンディ・コーファックス、ドン・サットンら名投手が在籍した1960年代、ウォルター・オルストンの後を継ぎ、20年に渡って監督を務めたトミー・ラソーダの下、1980年代に各2回ずつ成し遂げている。2009年にMLB3球団目となる通算10000勝に到達した。 2012年シーズン終了時点で、優勝決定プレイオフ進出回数が30球団の中で最多である。ナショナルリーグが同率1位の際に2戦先取制のプレイオフを実施していた時代、ドジャースは実施された4回すべてに出場しており、ワンゲームプレイオフ移行後も合わせると計5回出場している。 冒頭にもあったように、ジャイアンツとは前身のニューヨーク時代からの宿敵と言える関係で、現在に至るまで激しい優勝争いを繰り広げている。通算の対戦成績ではほぼ五分だが、ワールドシリーズ制覇回数に関して言えば、1958年に共に西海岸に移転してからは、ドジャースが1988年までに5回達成しているのに対して、ジャイアンツは2010年代に入ってから3度達成している。21世紀に入って以降に限ればジャイアンツが4度シリーズ進出を果たしている一方で、ドジャースは1988年の優勝を最後に長らく進出できずにいる。両チームの対戦は、「ニューヨーク・ヤンキース対ボストン・レッドソックス」及び「セントルイス・カージナルス対シカゴ・カブス」などと並ぶMLB屈指の人気カードである。 現在本拠地とするドジャー・スタジアム周辺がユダヤ系アメリカ人の多い土地柄で、ユダヤ系アメリカ人選手を好んで獲得する傾向がある。他にも他人種、他地域からの選手の発掘、西海岸への本拠地の移転など、他の球団に先駆けた改革を行い、大きな成功を収めた。これらは長年オーナーを務めたウォルター・オマリー、ピーター・オマリーらオマリー一族の影響が大きく、ドジャースは「働きやすい全米企業ベスト100」に何度も名を連ねるなど、球団経営の質を高めた(その後FOXグループに売却)。 伝統的に名投手を多く擁してきており、初代サイヤング賞受賞者であるドン・ニューカム(1956年)以来、2014年に至るまで、最多の延べ12回(8人)受賞者を出している。ドジャースのスカウト・教育係を長年務めたアル・キャンパニスがチームで採用されている当時最先端の作戦や練習方法などを一般に公表した著書『ドジャースの戦法』はスモールボール(スモールベースボール)の礎となり、日本プロ野球にも大きな影響を与えた。 2011年4月、MLBコミッショナーであるバド・セリグは、経営状態悪化の懸念から球団を監視下に置いたドジャースの管理責任者にジョン・トーマス・シーファー(前駐日大使)を選任したが、現オーナーのフランク・マッコート(en)は、「送り込まれた誰かがドジャースを奪うことは明らかに間違っている」と異を唱えている。翌2012年3月、投資グループのグッゲンハイム・ベースボール・マネジメントへの売却が発表された。同投資グループは、NBAの選手だったマジック・ジョンソンが名を連ねている。 日本人選手では1995年に史上2番目の日本人メジャーリーガーとしてデビューした野茂英雄をはじめ、石井一久、木田優夫、中村紀洋、斎藤隆、黒田博樹らが在籍していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロサンゼルス・ドジャース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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