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『ナイチンゲールの歌』、『うぐいすの歌』()は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが自作の歌劇『夜鳴きうぐいす(ナイチンゲール)』の音楽を再構成して作った交響詩、またこれに基づく1幕のバレエ作品。 == 作曲の経過 == モスクワ自由劇場の委嘱による3幕の歌劇『夜鳴きうぐいす』(原作:アンデルセン)は、第1幕が1907年から1909年、残りの第2、第3幕が1913年から1914年にかけて作曲された。作曲が中断していた4年の間にストラヴィンスキーの作風は『火の鳥』(1910年)、『ペトルーシュカ』(1911年)、『春の祭典』(1913年)の作曲を経て大きく変化したため、完成した『夜鳴きうぐいす』は1幕とそれ以外の幕で様式に大きな断層が生じることとなった。 依頼主であったロシア自由劇場が完成直前に倒産したため、バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフはストラヴィンスキーに上演を承諾させ〔ストラヴィンスキーに対する作曲料1万フランは、すでに自由劇場が支払っていたので、ディアギレフは無料で『夜鳴きうぐいす』を手に入れた(リチャード・バックル、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』リブロポート、1983年、上巻317ページ)。〕、1914年にオペラ座で初演を行った。歌劇の初演は好評であったが〔バックル、前掲書、上巻322ページ〕、パリで2回、ロンドンで4回上演された後は再演されなかった。 その後、ストラヴィンスキーが、同じ様式によって書かれた第2幕と第3幕をまとめて交響詩にしようと考えていたところ、1917年初めにディアギレフから『夜鳴きうぐいす』のバレエ化の提案があり、これに同意した。ストラヴィンスキーは編曲にとりかかると同時に、アンデルセンの原作を元にバレエのための台本を作り直した〔塚谷晃弘訳『ストラヴィンスキー自伝』全音楽譜出版社、1981年、90ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナイチンゲールの歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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