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ナイラ証言(ナイラしょうげん、Nayirah testimony)とは、「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日に非政府組織にて行った証言。イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院から、保育器に入った新生児を取り出し放置、死に至らしめた経緯を涙ながらに語った事で知られる。当時のマスコミはクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ、広く喧伝された。アメリカ合衆国上院議員や大統領も幾度となく引用しており、湾岸戦争の布石を敷くこととなる。 当初はアムネスティ・インターナショナルや避難民からの証言により、裏付けの取れたものであった。しかし、クウェート解放以後、マスコミが同国内に入り取材が許された結果、新生児の件は虚偽であった事が発覚。また、1992年に「ナイラ」なる女性は苗字がアッ=サバーハ(''al-Ṣabaḥ''、アラビア語:الصباح)であり、当時クウェート駐米大使であったサウード・アン=ナーセル・アッ=サバーハの娘との事実が明らかになった。その上、証言自体がクウェート政府の意を受けた、ヒル・アンド・ノウルトンによる広報キャンペーンの一環であったことが判明した。 ==背景== ===新生児についての証言=== イラクによるクウェート侵攻及び占領以後、これに乗じた略奪行為が数多く報じられた。その最中の1990年9月2日、ハビエル・ペレス・デ・クエヤル国連事務総長宛に、モハンマド・A・アブハッサン同クウェート代表から、次のような一通の手紙が届けられた。
手紙の中でアブ=ハッサンは、「レントゲン装置やスキャナーなど、公私を問わず病院からあらゆる設備が盗まれた」〔 とも述べている。なお、略奪行為については、避難民が「エアコンやコンピュータ、黒板や机の他、保育器や放射線装置までをも狙って、兵士が社屋や学校、病院に押し入った」 と、再度語ることとなる。また、ダグラス・ハード英外務大臣も「人目に憚られる方法で略奪や破壊の限りを尽くしている」と総括。いずれにせよ保育器の略奪は、未熟児が放り出されたり、その結果死に至るものであったことから、メディアの注目を集めた〔Rendall, p. 24〕。 同年9月5日、亡命中のアブドゥル・ワッハーブ・アル=フォーザンクウェート保健大臣は、サウジアラビアタイーフで開かれた記者会見にて「侵攻以後、イラク軍兵士が国内の全病院や医療機関を事実上掌握」、「患者を追い出し病院からハイテク機器や救急車、薬品や血漿を計画的に略奪した」ため、22名の未熟児が命を落としたと発言した〔〔。ワシントンポストは新生児の話の起源について、次のように記している。
ワシントンポストはイラクが域内の立ち入りを禁じ、外交官を強制的に隔離したとも報じた〔。 国連事務総長宛ての手紙はもう一つあり、アブハッサンはフォーザンの主張を次のように幾度も繰り返した。
手紙は新生児が何名死亡したか明らかにしていない〔〔Walton, p 771〕 ものの、翌日にはメディアがその内容を一斉に報じた〔〔。 また、「自由クウェートのための市民運動」総裁がガス・ヤトロン下院議員に対し、クウェートの惨状を文書で伝えた 他、ジャービル・アル=アフマド・アッ=サバーハクウェート首長とジョージ・H・W・ブッシュによる会談でも、イラク軍が保育器をイラクへ送った事が議題に上った。会談後のジャービルの回想によると、ブッシュは「イラク軍の攻撃により、嘗て平和かつ安全であった国が略奪に遭い、人々は拷問を受け、殺害さえされている」として、「イラクの指導者らは、アラブ連盟及び国際連合の加盟国で、国際的にも認知されている主権国家を、地図上から消し去ろうとしている」と発言したという。 その後、10月9日にブッシュが記者会見の中で、次のように述べている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナイラ証言」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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