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NAOqi Naoki (リングアナ) 中田なおき 巨輝 直き
ナオキは、1975年の宝塚記念を制した日本の競走馬。ほかに鳴尾記念・中京記念を勝っている。母のエイトクラウンも1966年の宝塚記念を制しており、現在まで唯一の母子制覇となっている〔親子制覇に範囲を広げても、2011年にグラスワンダー産駒のアーネストリーが優勝するまで、エイトクラウン・ナオキ母子の事例が唯一であった。ちなみに、鳴尾記念も母子制覇を達成している。〕。4歳年下の半弟に天皇賞2着2回のクラウンピラードがいる。因みに、馬名の「ナオキ」はオーナーの娘婿の名前から由来している〔愛知トヨタ自動車会長だった山口直樹(2014年死去)を指す。ちなみに義父はエイトクラウンの馬主の山口昇。直樹は馬主として「桜山ホース」を継承した名古屋友豊株式会社の代表も務めた。〕。 == 戦績 == 母が阪神3歳ステークスと宝塚記念を制したエイトクラウンと言う事で期待されたが、故障等もあり「最強世代」と称される花の1972年クラシック組に加わるどころか、トライアル競走にすら参戦出来ずに終わった〔この年のクラシック優勝馬は、皐月賞・ランドプリンス、日本ダービー・ロングエース、菊花賞・イシノヒカル。〕。だが、年末オープンクラス入りした勢いで挑んだ翌年2月のオープン戦をレコードタイム勝ち、次走の中京記念も快勝して重賞優勝馬の仲間入りを果たした。 父・サウンドトラックに似て非常に胴の長い体型であったが、短距離系の父の倍以上の距離でも好走した。事実、2400mの鳴尾記念で2分27秒1のレコード勝ちをしている。本来は中距離で持ち味を発揮する馬であったが、当時は今と違い中距離競走体系が整っていなかった事もあり、本来の能力を出し切れずに終わった。その様な時代故に距離不適な天皇賞にも5回挑戦するが、結局全て敗戦に終わった。ラストランとなった天皇賞(秋)も、道中で故障発生した事もあり7着に沈んでいる(優勝・フジノパーシア)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナオキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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