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石川 直生(いしかわ なおき、男性、1979年4月18日 - )は、日本のキックボクサー。東京都出身。青春塾所属。 オスカープロモーションに所属し、モデル活動も行っている。 == 来歴 == 1999年1月24日、ニュージャパンキックボクシング連盟でプロデビュー。当時は所属していた岩本道場がNJKF所属であったが、全日本キックボクシング連盟に移籍(道場名も青春塾に変更)。 2000年1月21日、2戦目かつAJKFデビュー戦で森下知之と対戦し、膝蹴りによるKO勝ちを収めた。 2004年10月17日、全日本フェザー級挑戦者決定戦で山本真弘と対戦し、判定負け。 2005年11月12日、33年ぶりの復活となった全日本スーパーフェザー級王座決定トーナメントに出場。準決勝でラスカル・タカと対戦し、左まぶたのカットによりTKO勝ち。2006年1月4日、スーパーフェザー級王座決定戦で前田尚紀と対戦。1R終了時に額陥没骨折の疑いでドクターストップ勝ち。スーパーフェザー級王座を獲得した。 2006年7月23日、全日本スーパーフェザー級タイトルマッチで正巳と対戦し、膝蹴りでKO勝ち。初防衛に成功した。 2006年10月8日、AJKF興行「青春塾祭り 〜Naokick's〜」をプロデュース。藤原あらし、サトルヴァシコバもモデルとして登場したファッションショーとキックボクシングの試合が融合した興行となった。石川自身もメインイベントで大高一郎に判定勝ちし、興行を締めくくった。 2007年8月25日、AJKFのKick Returnトーナメント1回戦で村浜武洋と対戦し、判定勝ち。10月25日の準決勝では山本真弘と対戦し、判定負け。 2008年1月4日、「NAOKICK試練の七番勝負」第1戦をファイヤー原田と対戦し、KO勝ち。 2008年6月22日、「NAOKICK試練の七番勝負」第4戦をカノンスック・ウィラサクレックと対戦し、左ミドルキックでKO負け。なお、カノンスックは試合前計量をクリアできなかった。 2009年1月4日、「NAOKICK試練の七番勝負」第7戦をスアフワンレック・シービューガーデンと対戦し、左跳び膝蹴りでKO勝ち。試練の七番勝負の最終戦績を5勝2敗とした。試合後には「今年はDynamite!!に出たい」と発言した〔石川KO勝ち。Dynamite!!参戦を熱望 BoutReview 2009年1月6日〕。 2009年3月14日、K-1ルールの大会「Krush.2」で大月晴明と対戦し、右フックでKO負けを喫した。 2009年6月21日、全日本スーパーフェザー級タイトルマッチで前田尚紀と対戦し、判定ドローで2度目の防衛に成功した。 2009年8月14日、Krushライト級グランプリ2009に出場。1回戦でTURBO、準々決勝で水落洋祐にそれぞれ右ハイキックでKO勝ちを収め、ベスト4進出を決めた。11月2日、準決勝で"狂拳"竹内裕二に左跳び膝蹴りでKO勝ちを収めた。しかし、竹内のパンチで左まぶたをカットしていたため、ドクターストップとなり決勝進出ならず〔山本真弘がGP制覇。石川、狂拳をKOも負傷リタイア BoutReview 2009年11月4日〕。 2010年1月4日、Krush.5でジョン・デニスと対戦し、1Rに3度のダウンを奪われKO負け。大晦日のDynamite!!への出場は叶わなかったものの、谷川貞治K-1プロデューサー推薦選手との対戦となった。 2010年5月2日、K-1デビューとなったK-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament 1st Round〜で渡辺理想と対戦し、判定勝ち。 2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament FINAL〜の準々決勝で才賀紀左衛門と対戦し、1Rに右ストレートでダウンを奪われた上で0-3の判定負け。 2010年8月14日、Krush.9で梶原龍児と対戦。3Rにダウンを奪われ、0-3の判定負けを喫した〔【Krush】佐藤嘉洋が名城裕司に貫禄の勝利!石川直生は再起戦でも敗れる GBR 2010年8月14日〕。 2010年12月12日、Krush初代王座決定トーナメント~Round.1~のメインイベントで卜部弘嵩と対戦。2Rにダウンを奪われ、0-2の判定負けを喫した。 2連敗中からの再浮上のきっかけを掴むために参戦したが失敗に終わる。 2011年5月29日、Krush -70kg初代王座決定トーナメント ~開幕戦~の特別試合(首相撲からの膝蹴り・肘打ち有りのキックルール)で、森重真と対戦し、2Rに3度のダウンを奪いTKO勝ちを収めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川直生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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