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ナゴルノ・カラバフ戦争(ナゴルノ・カラバフせんそう)は、アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州を巡る争い。ナゴルノ・カラバフ紛争と呼ばれることもある。戦争は泥沼化し、現在は事実上アルメニア人の占領下にある。 == 背景 == 南カフカース南部に位置するは、古くからアゼルバイジャン人とアルメニア人による領土紛争の舞台となってきた。アルメニア人の側は、カラバフが古代アルメニア王国の時代から数千年に渡るの中心地である、と主張する〔佐藤 (1989) 48-49頁〕。一方アゼルバイジャン人の側は、自らがの末裔であり、アルメニア人よりも古くにカフカース・アルバニア王国を形成していたカラバフ一帯の先住者である、と主張する。 カラバフのなかでも中部の山岳地帯(ナゴルノ・カラバフ)には特にアルメニア人が集中しており、1916年の時点でナゴルノ・カラバフのアルメニア人は総人口の約70パーセントまで達していた(しかし、アゼルバイジャン側によると、それは19世紀になってからアルメニア人が入植した結果に過ぎないという)。やがてロシア帝国が崩壊し、両民族がアゼルバイジャン民主共和国とアルメニア共和国として独立すると、カラバフをめぐる対立は軍事衝突にまで発展した()〔佐藤 (1989) 85頁〕。 しかし両国はほどなくして、北方のロシア社会主義連邦ソビエト共和国から派遣された赤軍の圧力により、アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国とアルメニア社会主義ソビエト共和国として、いずれも1920年の末までに共産化された〔。そして翌1921年7月4日には、現地のボリシェヴィキらの間で行われた国境画定交渉により、ナゴルノ・カラバフはアルメニア側に帰属すると確認された〔吉村 (2013) 186頁〕。ところが、このナゴルノ・カラバフのアルメニア帰属決定は、アゼルバイジャン側の激しい反発により、翌日にはアゼルバイジャンへの帰属決定として覆されてしまった〔。ナゴルノ・カラバフのアルメニア人には自治権が与えられることとなり、1923年7月、アゼルバイジャン領内に「ナゴルノ・カラバフ自治州」が成立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナゴルノ・カラバフ戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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