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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ナジーム・ハメド(Naseem Hamed、、ラテン文字転記: 、男性、1974年2月12日 - )は、イギリスのプロボクサー。シェフィールド出身。元IBF・WBO・WBC世界フェザー級王者。ボクシングのセオリーに無い独創的かつ天才的な動きで相手を翻弄するスタイルで、KO率は80%以上を誇った。派手な入場でも知られ、「プリンス」(日本では「悪魔王子」)、「Naz(ナズ)」の愛称で親しまれた。プリンス・プロモーションズを主催するプロモーターでもあった。 == 来歴 == イングランドのシェフィールドでイエメン人の両親のもとに生まれる。幼少の頃にブレンダン・イングルのウィンコーバンクジムでボクシングをはじめた。 アマチュアボクシングを経験した後、1992年4月14日に18歳でプロデビュー。デビュー当時はフライ級であった。 1994年5月11日、ビンセンツォ・ベルカストロに判定勝ちし、EBU欧州バンタム級王座を獲得。 1994年10月12日、階級を上げ、WBCインターナショナルジュニアフェザー級王座決定戦でフレディ・クルスに6RTKO勝ちし、同王座を獲得。 1995年9月30日、更に階級を上げ、スティーブ・ロビンソンに8RTKO勝ちし、WBO世界フェザー級王座を獲得。 1997年2月8日、トム・ジョンソンに8RTKO勝ちし、IBF世界フェザー級王座を獲得。2団体統一に成功。IBF王座は2度防衛後の1997年9月に返上。 1998年4月18日、ウィルフレド・バスケスに7RTKO勝ち。バスケスはWBA世界フェザー級王者であったが、王座を返上してハメドとの試合に臨んだ。ハメドは実質的に3団体の王座を統一。 1999年10月22日、セサール・ソトに判定勝ちし、WBC世界フェザー級王座を獲得。再び2団体統一に成功するも、WBC王座は1度も防衛戦を行わずに返上。実質的に4団体の世界フェザー級王座を統一。 2000年10月、15度防衛したWBO世界フェザー級王座を返上。 2001年4月7日のマルコ・アントニオ・バレラとのIBO世界フェザー級王座決定戦に敗れプロ初敗北を喫した。その後再起戦が予定されていたが、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起き、世界的にアラブ系人物へのイメージが急速に悪化したため中止になった。 約13か月のブランクを経て2002年5月18日にマヌエル・カルボとのIBO世界フェザー級王座決定戦に判定勝ちし、同王座を獲得〔「悪魔王子」ナジーム・ハメド IBO世界フェザー級新王者に スポーツナビ Topics Column 2002年5月18日〕。 2005年5月、英中部シェフィールド市内を速度約144km/hで運転し対向車と衝突、対向車の運転手に重傷を負わせた事件で2006年5月12日、英シェフィールド刑事法院から禁固1年3か月の実刑判決を言い渡された〔無謀運転で禁固1年3月 元ボクシング世界王者 47NEWS 2006年5月13日〕。刑期満了で出所した後インタビューに応じる。服役中まったく練習しなかったせいか、かなり太っていた〔危険運転で服役中の元ボクシング王者、リムジンに乗って釈放 - 英国 AFPBB News 2006年9月5日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナジーム・ハメド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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