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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ナタリー・ナカセ(Natalie Nakase、1980年4月18日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のプロバスケットボール選手・指導者である。日系アメリカ人三世。 三姉妹の末っ子として生まれ、姉の影響でバスケを始める。 NCAAの名門・UCLAに入学する直前、高校の試合で大怪我を負ったが、大学でそれを乗り越えてレギュラーの座を獲得し、主将も務めた 。卒業後は独立リーグのNWBLでプロとなる。NWBLはWNBAとはシーズンが逆、すなわち日本のWJBL同様秋春制のリーグであった。 NWBLは2007年に解散したため、その後はドイツ1部のHerne TCで1シーズンプレーした後に現役引退。 2008-09シーズン途中、同じドイツ1部リーグのWolfenbuttel Wildcatsのヘッドコーチとして指導者に転じる。就任時に同チームは2部降格の危機にあったが、1部残留に成功。翌2009-10シーズンも指揮を執った後、退任〔。 2010年、主に観光目的で来日。その際、同郷の牧ダレン聡が所属していたbjリーグの東京アパッチやNCAA同期のウィリアム・ナイトが所属していた浜松・東三河フェニックスの練習を見学したことがきっかけで、東京アパッチのアシスタントコーチに就任〔。 2011年3月、東日本大震災でチームが活動を休止したため、翌2011-12シーズンより埼玉ブロンコスに移り、ヘッドコーチであるディーン・マーレイの下、アシスタントコーチに就く。しかし11月20日、契約違反によりマーレイがチームから出場停止処分を受けたため、ヘッドコーチ代行として指揮を執る。その後24日にマーレイは解任され、ナカセが後任のヘッドコーチに昇格した。bjリーグ史上初の女性ヘッドコーチであった。2012年1月にさいたまスーパーアリーナで開催されたbjリーグオールスターゲームではイーストチームのヘッドコーチを務めた。埼玉はこのシーズン、16勝36敗、東地区最下位となる10位で終えた。チームはナカセとの契約を更新せず、ナカセは2012年契約満了のため退任した。 退任後はNBAのヘッドコーチを目指すためアメリカに帰国し、ロサンゼルス・クリッパーズにビデオコーディネイターとして就職。2014年7月のサマーリーグではクリッパーズのアシスタントコーチを務めることになった。 2013年5月6日、アメリカ政府から、地域社会で主導的な役割を果たした「変革の闘士」として表彰された〔。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナタリー・ナカセ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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