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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ナダ・サーフ (Nada Surf) は、アメリカのオルタナティヴ・ロックバンドである。 1992年ニューヨークで結成。 マシュー・カーズ(Matthew Caws, ギター, ボーカル)、アイラ・エリオット(Ira Elliot, ドラム、バックアップボーカル)、ダグ・ギラード(Doug Gillard,リードギター)、ダニエル・ロルカ(Daniel Lorca, ベース、バックアップボーカル)によって構成される。 1996年のアルバム『High/Low』に収録されている『Popular』で最もよく知られている。 == バイオグラフィ == === 初期 === ナダ・サーフは1990年代初め、マシュー・カーズ、ダニエル・ロルカによって結成された。彼らはThe Lycée Français de New York(アメリカ合衆国のフランス語学校)で出会い、共に幼少期をフランス、ベルギーで過ごした。彼らは、The Cost of Living、Because Because Becauseなどといった数多くのバンドで活動していた。彼らの最初のドラマー、ダンは後に、彼らの曲、ザ・プラン(The plan)の中で触れられている。 その後ダンは脱退、代わりにアーロン・コンテが加入、彼らの最初のシングル、ザ・プラン/テレスコープ(The Plan/Telescope)、ハイ/ロウ(High/Low)の元となったデモテープTafkansをレコーディングする。これ等の曲は後に、彼らのシングルやEP、ディー・パーウェル/プレッシャー・フリー(Deeper Well/Pressure Free - セカンドシングル)、カーミック(Karmic - EP)、ノース・シックス・ストリート(North 6th Street - EP)として発表された。 1995年9月、アーロンがバンドを脱退し、1980年代ニューヨーク・シーンで活発に活動していたバンド、ファズトーンズ(Fuzztones - マシューとダニエルの2人はこのバンドのファンでもあった。)のドラマーだったアイラ・エリオットが加入する。彼らは、それまでずっとアーロンをバンドに誘おうと考えていたのだが、彼らのミュージシャンとしての腕前が十分ではないと考えていたので誘うまでに至ってはいなかった。しかし、アイラはバンドに新しいエネルギーを持ち込み、マシューとダニエルはアイラをバンドに迎え入れるべきだと確信した。 The Knitting Factoryでのショーの後、彼らはカーズのかつてのフロントマンであり、ウィーザーのプロデューサーのリック・オケイセックと出会う。わずかな希望に賭け、彼らはデモテープのコピーをリック・オケイセックに渡す。その3週間後、バンドは彼らのニューアルバムのプロデュースの申し出を受ける。同時に彼らは、インディー部門No.6 Recordsの重役、Terry Tolkinを通して、エレクトラ・レコードとの契約を終わらせようとしていた。 エレクトラ・レコードとの交渉はうまくいかず、リック・オケイセックはMaverick Recordsと交渉を取り付けた。 バンドは過酷なオーディションのためロサンジェルスに飛んだ時、マシューがインフルエンザにかかり、バンドは機材を借りなければならなかった。 ハイ/ロウ(High/Low)は1996年1月の19日間でレコーディング、マスタリングされた。レコーディング費用は、バンドが契約書にサインする前(1996年1月18日)に、エレクトラ・レコードによって支払われた。 2012年にはザ・スターズ・アー・インディファレント・トゥ・アストロノミー(The Stars Are Indifferent To Astronomy)をリリースし、元ガイデッド・バイ・ヴォイシズのダグ・ギラードが加入した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナダ・サーフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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