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ナチ党党大会(正式名称は「全国党大会()」)は、ドイツの政党国家社会主義ドイツ労働者党(以下ナチ党)が1923年から1938年にかけて行っていた党大会である。1933年のナチ党の権力掌握以来、一貫してニュルンベルクで党大会が開催されていたため、ニュルンベルク党大会と呼ばれることが多い。ニュルンベルクでの党大会は、ドイツ民族とナチ党の結合を象徴させるための一大プロパガンダとして毎年9月初めに開催されていた。 == 10回の党大会 == === 政権獲得前の党大会 === ナチ党の第一回党大会は1923年1月27日から1月29日にかけてミュンヘンにおいて行われた。12か所での公開党大会となった。本大会は1月28日に行われ、ここでヒトラーは自らがデザインした突撃隊旗を突撃隊の各連隊に渡した。これは後の党大会まで受け継がれる慣例となる〔阿部(2001)、p.92〕。 第二回党大会は1926年7月3日から4日にかけてテューリンゲン州ヴァイマールで行われた。ここが選ばれたのは当時のテューリンゲン州がヒトラーの演説を許していた数少ない州だったためである〔トーランド(1979)、上巻p.249〕。この党大会でクルト・グルーバー率いるザクセンのナチ党青少年組織「大ドイツ青少年連合」を「ヒトラー・ユーゲント」と改名させて党内唯一の青少年組織と定めた〔〔『ヒトラー・ユーゲント―青年運動から戦闘組織へ』(中公新書)9ページ。ISBN 978-4121015723〕。ミュンヘン一揆の失敗で党が解散させられた後に再建した後の最初の党大会であり、党の復活を世にアピールする意味が大きかった〔阿部(2001)、p.135〕。ナチ党はこの時点で弱小政党に過ぎなかったが、それでも3500人ほどの突撃隊の行進を行ってヴァイマールでの党大会を締めくくった〔トーランド(1979)、上巻p.250〕。 第三回党大会は1927年8月19日から21日にかけてニュルンベルクで開催された。およそ2万人の党員が参加した。21日の演説でヒトラーは「ドイツ民族にはもっと生存圏が必要であり、それは力による領土拡張によってのみ実現される。しかしドイツは3つの忌むべき思想、国際主義と民主主義と平和主義によって力を奪われてしまった。この邪悪の三位一体はユダヤ人が創造した物である。」と述べ、生存圏概念を反ユダヤ主義に結び付けた〔トーランド(1979)、上巻p.258〕。 第四回党大会は1931年10月17日から18日にかけてブラウンシュヴァイクで突撃隊の集会という形で行われた〔阿部(2001)、p.186〕。 File:Bundesarchiv Bild 146-1969-054-53A, Nürnberg, Reichsparteitag.jpg|1927年にニュルンベルクで開催された党大会。ヒトラーのほか、ハインリヒ・ヒムラー、ルドルフ・ヘス、グレゴール・シュトラッサー、フランツ・プフェファー・フォン・ザロモンらの姿が見える File:Bundesarchiv Bild 147-0503, Nürnberg, Horst Wessel mit SA-Sturm.jpg|1929年のニュルンベルクでの党大会。突撃隊を率いているのはホルスト・ヴェッセル 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナチ党党大会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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