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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ナッティ・ナイドハート(''Nattie Neidhart''、1982年5月27日 - )は、カナダの女子プロレスラー。アルバータ州カルガリー出身。 近年はナタリヤ(''Natalya'')のリングネームでWWEに所属している。ハート・ファミリーの出身で祖父はスチュ・ハート、父はジム・ナイドハートという3代目プロレスラーである。 == 来歴 == カナダのプロレス名門ハート・ファミリーに生まれ、ハート家の地下にある "ハート・ダンジョン" でトレーニングを重ねる。2003年には、1999年に復活したスタンピード・レスリングで活動を始めた。2004年には自らの技術向上のためイギリスの団体に参加し、2005年にはAtoZやNEO女子プロレスなど日本のリングにも登場(リングネームは「ナディア・ハート」)。その後はカナダへ戻り、活動を続けた。 2007年にWWEと契約し、DSWに所属。その後FCWへ移動。FCWではいとこのハリー・スミスやテディ・ハートと共に活動した。 2008年4月にスマックダウンに初登場。ビクトリアと共にディーヴァコンテストに乱入し、ミシェル・マクール、チェリーを襲撃する。この時点ではまだ素性は不明で、謎の女性とされていた。翌週、ビクトリアによって、名前は「ナタリア・ナイドハート」でジム・ナイドハートの娘であると明らかにされた(後にファミリーネームを省き、「ナタリア」の名義で活動する)。 以後はビクトリアとのコンビでミシェル・マクール&チェリーと抗争を開始。6月にはスマックダウンGMのヴィッキー・ゲレロによりディーヴァズ王座が新設されることとなり、その王座挑戦資格を勝ち取るが、同年のグレート・アメリカン・バッシュでミシェル・マクールに敗退、初代ディーヴァズ王者を逃した。 2009年2月からスマックダウン所属ながら主にECWで活動するようになる。ECWではタイソン・キッドと共にヒールとして活動し、4月の追加ドラフトにより正式にECWに移籍。その後同じくECWに移籍してきたデビッド・ハート・スミス(DHスミス)を加え、ハート・ダイナスティ(''The Hart Dynasty'')を結成する(結成直後は「ハート・トリロジー」と呼ばれていた)。6月のトレードでキッド、スミスと共に再びスマックダウンへ移籍し、クライム・タイムと抗争を展開した。 デビュー当時からヒールとして活動していたが、2010年のレッスルマニア26のブレット・ハートとビンス・マクマホンの一戦をきっかけにフェイスターンする。その後追加ドラフトによりキッド&スミスと共にRAWへ移籍。9月から統一ディーヴァズ王座をめぐりレイ・クール(ミシェル・マクール&レイラ)と抗争。その頃からシングルプレイヤーとしての活動が多くなり、11月15日にはキッドとスミスの仲間割れが原因でハート・ダイナスティは解散となった。11月21日のサバイバー・シリーズの2対1のハンディキャップマッチ形式の統一ディーヴァズ王座戦で勝利し、初の王座を獲得した。 2011年8月に再びヒールターンし、その後はベス・フェニックスとディーバズ・オブ・ドゥーム(''Divas of Doom'')を結成したが、彼女自身は不調となり、徐々にベスに見放されていく。その後DODが自然消滅し、ベビーターンしグレート・カリと恋人ギミックとなり、ホーンスワグルも携えて行動を共にし活躍したが、2013年にキッドと婚約すると同時にこれまた自然消滅的に袂を分かった。 それからはNXTで女子王座を狙って戦ったり、2014年にはキッドと行動を共にすることも増えるが、度々試合中のキッドの盾にされてしまう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナッティ・ナイドハート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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