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ナポレオン・ラジョイ(Napoleon Lajoie,1874年9月5日 - 1959年2月7日)は、アメリカ合衆国ロードアイランド州ウーンソケット出身のプロ野球選手(二塁手、一塁手)。右投げ右打ち。1900年代〜1910年代にメジャーリーグで活躍し、20世紀初の三冠王となった。 == 経歴 == フランス系カナダ人の血を引くラジョイは優雅で洗練されたプレーで、ファンのみならず選手からも尊敬される存在だった。二塁守備も堅実で広い守備範囲を誇った。 球聖タイ・カッブとは1905年から1916年まで同じアメリカンリーグでしのぎを削った。特に1910年の首位打者争いは有名で、最終日時点でカッブが打率.385に対し、ラジョイは打率.376と9厘差。首位打者を確信したカッブは試合を欠場。しかし、ラジョイはセントルイス・ブラウンズ(現:ボルチモア・オリオールズ)戦のダブルヘッダーで9打数8安打(最終打率.384)、遊撃手の失策とされた1打が安打になっていれば逆転で首位打者というところまで迫った。ところがそのうちの7本は三塁へのバント安打で、これは相手チーム・ブラウンズの監督ジャック・オコナーが当時人気の高かったラジョイにタイトルを勝ち取らせるために、三塁手に「後ろに下がってプレーしろ」と命じた結果のものだった。しかし、露骨なシフトだったためこの八百長が発覚し、結局、公式な首位打者はカッブとなったものの、賞品のマックスウェル・チャルマーズ社の車は両者に与えられることになった(そのシーズン後にオコナーは監督を解雇され、コーチと共に永久追放されている)。 1981年、スポーティング・ニューズ社により1910年の集計に誤りが指摘され、カッブの成績が509打数196安打ではなく、506打数194安打であるとし、カッブの打率は.385から.383に修正され、シーズン打率は2位に後退した。しかしコミッショナー特別委員会は八百長の影響もあってか、首位打者の変更を認めず、ラジョイはシーズン打率1位でありながら首位打者を逃した選手となった。MLB公式記録でもカッブは509打数196安打で打率.385のままである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナップ・ラジョイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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