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ナレースワン : ミニ英和和英辞書
ナレースワン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ナレースワン : ウィキペディア日本語版
ナレースワン[ちょうおん]

ナレースワン大王タイアユタヤー王朝の21代目の王。サンペット2世とも言う。マハータンマラーチャー王の子でピッサヌロークの出身。“黒の王”と呼ばれる事もある。
== 略歴 ==
ナレースワンが幼少の頃、父はピッサヌロークの知事だった。1563年にピッサヌロークがビルマに負けると、養子という名目の人質としてナレースワンはビルマに連行された。人質時代にナレースワンはビルマで戦術を学んだ。
1569年、前期アユタヤー王朝がミャンマーに掌握されると、ピッサヌロークの父はミャンマー政府からの信任を受け、アユタヤの傀儡王に就いた。同年、父王はナレースワンを取り戻すため、娘のスパンカンラヤーをビルマ王の妻として差し出し、代わりにナレースワンを返させた。この後ナレースワンはタイ独立へ向けて、タイ兵士を独特の武道で鍛えた。タイの国技とも言われるムエタイはこのときの武道がその原型となったと言われる。
1574年、ナレースワンは機が熟したと見て、アユタヤー王朝の独立を宣言する。同年ミャンマーのシッタン川でビルマ軍の先鋒を銃殺したのを皮切りに、攻めてくるビルマ軍をことごとくうち破った。アユタヤー王は次々と失地を回復し、ナレースワンが王に就く前に、アユタヤー王朝は以前の栄光を取り戻した。王位に就いた後もビルマに対し数々の戦争をした。ある時カンボジアラウェークを捕らえ斬首し、その血で足を洗った(これは当時インドシナ半島で行われていた一種の戦勝儀式である)。
1604年、ビルマの王ナンタブレンが毒殺されたのを機にミャンマーのタイ族の治めるシャン族の州がタイに寝返った。新たなビルマの国王がこれを討ったため、ナレースワンはシャン族の保護を目的に、自ら兵を率いてアユタヤから北上したが、翌年チエンマイ県の北部で病死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナレースワン」の詳細全文を読む




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