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ナンダウンミャー(1175年 - 1235年、在位1211年 - 1235年)は、ビルマのパガン王朝の第8代国王。第7代国王ナラパティシードゥーの子。正式名称はシュリー・トリバワナ・アーディトラ・パワラ・ダンマラージャ。ビルマ語による王統史にはティロミンロー(王になるように傘が望んだ者)の名前で記され、史料によってはオウサナーの名前でも表記される。 即位前の名前はゼヤテインカ。ナンダウンミャーの生母は低い身分の生まれだった。ナラパティシードゥーは病に罹ったときに彼の母から懸命な看病を受けて心を打たれ、末子のゼヤテインカ(ティロミンロ)を後継者に指名した〔ハーヴェイ『ビルマ史』、89頁〕。彼の生母が、彼の王位継承を認めるように宮廷内の人間に懇願したことから、「ナンダウンミャー(王位に対する幾度の懇願)」と称せられた。 ナンダウンミャーは政治よりも仏事を好み、彼に代わって4人の兄たちが合議に基づいて政務を執った。ナンダウンミャーの在位中に行われた合議制の統治が、後のビルマの王朝に設置されたルットウ・ヨン(国務院。行政を司る議会)の元になり、ルットウ・ヨンはビルマがイギリスによって植民地化されるまで存続した〔ハーヴェイ『ビルマ史』、89-90頁〕。彼の在位中に制定された法令は、「ナンダウンミャー王のピャトン」と呼ばれた。 また、彼の治世には寺院が所有する免税地の拡大に伴う、税収の減少が顕著になる〔伊東「イラワジ川の世界」『東南アジア史 1 大陸部』、128-129頁〕。減収の対策として、王子2名と大臣4名から構成される宗教用地調査委員会が設置された。 彼の治世に建立された仏教寺院としては、ブッダガヤの寺院を見本としたパガン郊外のマハボディ大菩提寺、パガン王朝最後の大寺院に数えられるティロミンロ寺院がある〔ハーヴェイ『ビルマ史』、90頁〕。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナンダウンミャー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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