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ニキフォロス1世 : ミニ英和和英辞書
ニキフォロス1世[よ, せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ニキフォロス1世 ( リダイレクト:ニケフォロス1世 ) : ウィキペディア日本語版
ニケフォロス1世[にけふぉろす1せい]

ニケフォロス1世( (Nikēphoros)、、760年? - 811年7月26日)は、東ローマ帝国皇帝(在位:802年10月31日 - 811年)。
名目上はイサウリア朝(シリア朝)東ローマ帝国第6代皇帝ともされるが、その実、820年に始まるアモリア朝の始祖である。
== アモリア王朝の創設と国内政策 ==
ニケフォロスは、イスラームの史書には古代末期にアラビア半島北部にあった帝国の衛星国・ガッサン朝の王家の子孫であると記載されているが、真偽は不明である。先帝であるエイレーネーの代には税務長官であったが、802年10月31日クーデターの中心人物として、エイレーネーを退位に追い込んで即位した。このクーデターには彼のほかにも司法長官や近衛部隊長官(ドメスティコス・トーン・スコローン)、さらにはエイレーネーの一族すら参加していた。翌803年、ニケフォロス1世の即位に反対するが反乱を起こすが、彼はすぐに投降したため、大きな混乱にはならなかった。
ニケフォロス1世は財務官僚としての経験を活かし、エイレーネーによって危機的状態に陥っていた財政の再建に着手した。彼の経済政策については、同時代人であり、政敵エイレーネーの支持者でもあった年代記作者のテオファネス(証聖者テオファネスen])が詳しく報告している。テオファネスによると、彼が行った最も「重大な悪政」は以下のようなものである。
* 人々をスクラビニア(Sukurabinia、意:スラヴ人の土地)へと強制的に移住させた〔6- 7世紀に帝国の国力が衰微し、異民族の侵入が相次いだ時代、現代のギリシャの地にいたギリシア人の多くが南イタリアマグナ・グラエキア)や小アジアへ逃げていた。この政策はこれらのギリシア人を故地に戻そうとするものであったと言われている〕。
* 貧民も徴兵。装備を自弁できない者には同じ村の人々に代弁させた。
* 財産調査を行って増税。手数料も徴収。
* エイレーネー時代の減税を撤廃〔実の息子から帝位を簒奪したエイレーネーには人望が無く、人気取りのために無理な減税を行って財政を破綻させていた。〕。
* 慈善施設などの小作農に人頭税を課税。
* 宝物を急に得た人に課税〔宝物とは、古代末期の異民族の侵入により、バルカン半島では古代ギリシア以来の都市の多くが放棄され、ギリシア人が逃亡してしまったが、その際に住民達が貨幣などを地中に埋めて逃げていったものを指すと言われている。この政策は、イサウリア王朝以降、帝国が安定を取り戻しつつあり、かつての都市のあった場所に住民が戻ってきていたことを示していると言われる。〕。
* 20年以内に瓶や容器を発見した人に課税。
* 過去20年以内に遺産を相続した人に相続税を課税。また、アビュドステマ・アビュドス)以外で取引された家内奴隷に課税。
* 小アジアの船乗りたちに、強制的に土地を購入させた。
* コンスタンティノポリスの船乗りたちに強制的に資金を貸し付けた。
これらの政策は、基本的にはエイレーネー時代の減税の廃止や、徴税の厳格化などであり、ニケフォロス1世の経済政策への知識が遺憾なく発揮されている。また、船乗りたちに対する政策は、彼らの生活基盤の強化や商業活動支援政策になったと考えられる。住民の移住政策は、当時帝国領に復帰して間も無かったギリシャ地区、特にペロポネソス半島に対する支配強化と、中部地中海への進出の始まっていた北アフリカのイスラーム勢力に対する防衛強化策であると考えられている。なお、これらの政策はエイレーネー時代から受け継がれたものであり、ニケフォロス1世はバルカン半島に新たにテマテッサロニキ、テマ・ペロポネソス、テマ・デュラキオンを設置した。また、テマ・ケファレニアもニケフォロス1世が設置した可能性がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nikephoros I 」があります。




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