翻訳と辞書
Words near each other
・ ニコライ・リヴォーフ
・ ニコライ・リー・カース
・ ニコライ・ルイシコフ
・ ニコライ・ルカビシュニコフ
・ ニコライ・ルガンスキー
・ ニコライ・ルビンシテイン
・ ニコライ・ルビンシュタイン
・ ニコライ・ルビンシュテイン
・ ニコライ・ルージン
・ ニコライ・ルービンシュタイン
ニコライ・レエク
・ ニコライ・レザノフ
・ ニコライ・レザーノフ
・ ニコライ・レスコフ
・ ニコライ・レビチェフ
・ ニコライ・レプニン
・ ニコライ・レヴィチェフ
・ ニコライ・レーニン
・ ニコライ・レーリヒ
・ ニコライ・ロゴシュキン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ニコライ・レエク : ミニ英和和英辞書
ニコライ・レエク
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ニコライ・レエク : ウィキペディア日本語版
ニコライ・レエク

ニコライ・レエクNikolai Reek 1890年 - 1942年)は、エストニア軍人中将。エストニア軍参謀総長、国防相を歴任。
==略歴==
タリン出身。1910年、チュグエフ軍事学校を卒業。参謀将校として第一次世界大戦に従軍し、1917年、参謀本部アカデミーを卒業。1918年2月、エストニア軍参謀長、中佐
解放戦争時、第5歩兵連隊長、第1、第3師団及びヴィルスク戦線の参謀長を歴任。解放戦争末期、大佐に昇進し、エストニア軍で唯一自由十字章を3個受賞した。
1920年~1923年、軍事学校総監。1923年~1925年、フランスの軍事アカデミーに留学。1925年~1926年、参謀総長、1926年~1927年及び1929年~1934年、第2師団長を務める。1927年~1928年、テエマント及びトィニソン政権で国防相を務め、1934年~1939年、参謀総長となり、1938年まで国防次官を兼任した。1938年2月、中将に昇進。
1939年~1940年、国防相となるが、1940年6月22日に退役させられ、間もなく逮捕。1941年8月、ソ連に連行され、ウソリスキー・ラーゲリ(モロトフ州)で死去。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコライ・レエク」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.