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ニコラウス・ステノ(Nicolaus Stenoはラテン名、デンマーク名はニールス・ステンセン Niels Steensen, 1638年1月11日(ユリウス暦1月1日) - 1686年12月5日(ユリウス暦11月25日)) はデンマーク生まれの17世紀の科学者、カトリック教会司教で福者に列せられる。化石の研究から地層の生成を考察した『固体の中に自然に含まれている固体についての論文への序文』(1669年)〔原題は''"De solido intra solidum naturaliter contento dissertationis prodromus"''、英語では''"Preliminary discourse to a dissertation on a solid body naturally contained within a solid"'' 。日本語では『プロドロムス』とも略称される。〕は地質学の先駆的な著書である。解剖学の分野で耳下腺管(ステノ管)を発見した。 ==人物・生涯== ステノはコペンハーゲンの金細工職人の息子として生まれた。コペンハーゲン大学に学んだが、スウェーデンとデンマークの間で戦争がおこり、学業を続けるためにアムステルダムに移らざるをえなくなった。ライデン大学で医学の学位をえた後、解剖術の才能を示し、有名な解剖学者となった。解剖学の著書『脳の解剖についての講義』がある。その後1年ほどパリに滞在した。 1665年フィレンツェに移り、アカデミア・デル・チメントのメンバーになりフェルディナンド・デ・メディチの保護をうけて、自然科学の研究をおこなった。自らの解剖学的知識と化石の類似とトスカーナ地方を中心とするイタリアの地形、地層の観察から、地層の生成に関する研究の成果『固体の中に自然に含まれている固体についての論文への序文』を出版した。 その後、1667年、それまで信仰していたルーター主義からカトリックに改宗。フィレンツェで神学の勉強を始め、1675年、司祭に叙階され、1677年、司教となり、ドイツ北部にて、数少ないカトリック教徒ために尽力した。晩年は、科学的研究から離れていた。1988年、教皇ヨハネ・パウロ2世の手によって福者の位にあげられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコラウス・ステノ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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