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ニコラウス・レーナウ : ミニ英和和英辞書
ニコラウス・レーナウ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ニコラウス・レーナウ : ウィキペディア日本語版
ニコラウス・レーナウ[ちょうおん]

ニコラウス・レーナウ(Nikolaus Lenau、1802年8月13日 - 1850年8月22日)は、ハンガリー出身のオーストリアの詩人。本名はニコラウス・フランツ・ニーンブシュ・フォン・シュトレーレナウ(Nikolaus Franz Niembsch von Strehlenau)。代表作に、自然をテーマにした『葦の歌』(1832年)や『森の歌』(1843年)、叙事詩『ファウスト』(1836年)、『サヴォナローラ』(1837年)などがある。
== 略歴 ==
当時ハンガリー領だったシャダート(Schadat、現在のルーマニアティミシュ県レナウヘイム)で、ドイツ・スラブ系の父親とドイツ・ハンガリー系の母親の間に生まれる。ウィーン大学では哲学、法律、医学など専攻分野を転々とするものの、莫大な遺産が手に入ったことから1831年シュトゥットガルトに移り、ルートヴィヒ・ウーラント(Ludwig Uhland)らシュヴァーベン詩派の作家と親交を持ちつつ文筆活動を行う。
1832年には自由の国アメリカにわたるが、実情に幻滅して帰欧する。
1834年より友人の妻ゾフィー・レーヴェンタール(Sophie von Löwenthal)との恋愛関係に悩み、1844年に発狂して自殺を図り、5年間の入院の末、精神病院で悲惨な最期を遂げた〔『西洋人名辞典』岩波書店、1956年〕。クロスターノイブルクの集落ヴァイトリンク(Weidling)のKlosterneuburg-Weidlingに埋葬されている。
ハンガリー的情熱と、スラブ的憂鬱の交じり合った独自の作風〔『世界大百科事典』平凡社、1967年〕により「世界苦の詩人」として知られ、ポーランドの民族運動に同情的であったために「オーストリアのバイロン」とも呼ばれた。〔『大百科事典』平凡社、1984年〕。
生誕の地であるシャタードは、1926年に彼にちなんでレナウヘイム(Lenauheim)と改称された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラウス・レーナウ」の詳細全文を読む




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