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ニコラオス・カヴァシラス(, , 1319/1323年頃 テッサロニキ〔http://books.google.com/books?id=iE45LzrfZuwC&pg=PA10&dq=Nicholas+Cabasilas&sig=_h6j3HmT5IXDM2n5WO3DJugxXZk〕 - 1391年より後)はビザンティン帝国における神秘主義者であり神学著作家。「カヴァシラス」は現代ギリシャ語からの転写であり、古典ギリシャ語表記の再建音からはニコラオス・カバシラスと転写し得る。 カヴァシラスは正教会において聖人とされている。記憶日は6月20日〔http://www.oca.org/FSLivesAllSaints.asp?SID=4&M=6&D=20〕〔http://goarch.org/en/chapel/todaywecelebrate.asp?M=6&D=20&Y=2006〕。 == 生涯 == カヴァシラスは東ローマ帝国皇帝ヨアニス6世カンダクジノスと懇意の間柄にあり、皇帝が修道院に隠棲した際に同行した。 テッサロニキ主教であったと信じられたこともあったが、近年の研究では母方の叔父ニロス・カヴァシラスとの混同の結果であるとされ、否定されている。司祭か修道士であったとの推測は裏付けられるには至っていないが、聖体礼儀の式順と司祭の言動を深く知っていることから、司祭か修道士であった蓋然性は高い〔ニコラオス・カヴァシラス著 イオアン長屋房夫訳 『聖体礼儀の注解』 内の、イオアンニス・フンドゥリス教授(テッサロニキ大学)による説明文(PDF)〕。 ヘシュカスムを巡る議論においては、アトス山の修道士側に立ち、グレゴリオス・パラマスの側に立った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコラオス・カヴァシラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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