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ニコラス・カルドア : ミニ英和和英辞書
ニコラス・カルドア[どあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ドア : [どあ]
 (n) door

ニコラス・カルドア : ウィキペディア日本語版
ニコラス・カルドア[どあ]

ニコラス・カルドアカルドア男爵(Nicholas Kaldor、Baron Kaldor、1908年5月12日 - 1986年9月30日)は、ハンガリー生まれのイギリス経済学者。ハンガリー名はカールドル・ミクローシュ(Káldor Miklós)。ナイトを授与され「サー・カルドア」とも、一代貴族としてカルドア男爵に叙されたため「カルドア卿」とも呼ばれる。
== 略歴 ==

*1908年 ハンガリーブダペストにおいて、父親は弁護士である裕福なユダヤ人家庭に生まれる。2人の息子がなくなり、娘が1人残されているだけのところに誕生した。
*1914年 6歳から学校に通い始める。
*1918年 10歳でブダペスト大学の管理するモデル・ギムナジウムに移った。
*1925年 ベルリン大学で18か月(1925年10月~1927年春)だけ学ぶ。
*ハンガリーの新聞の外国派遣通信員として働く。
*1927年 イギリスに渡る。当初は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLSE)で学位を取るつもりはなく、ジャーナリストの仕事も行っていた。
*1930年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE) を卒業。ライオネル・ロビンズの推薦によりresearch studentになる。
*1932年 講師補(Assistant)となる。
*1934年 Clarissa Goldsmith(Goldschmidt)と結婚。
*1935年 - 1936年 Rockefeller Research Fellowshipを与えられハーバード大学へ行く。
*1941年 LSEの講師となる。
*1942年 LSEのリーダー准教授)となる。
*第2次世界大戦中は、国民所得会計の整備やベヴァリッジ・レポートの立案などの仕事を行う。
*1947年 LSEに休暇願を出すも許可されず、辞任の上欧州経済委員会研究・計画局の局長につく(2年半)。
*1949年 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジの研究員として大学に戻る。
*1952年 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジのリーダー(准教授)になる。
*1964年 イギリス労働党のアドバイザーとなる(1964~8年、1974~6年)。
*1966年 ケンブリッジ大学教授となる。
*1974年 一代貴族をえ、カルドア男爵(Baron Kaldor)と呼ばれる。
*1986年 ケンブリッジ州Papworth Everardで死去(78歳)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラス・カルドア」の詳細全文を読む




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