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ニコラス・カルドア、カルドア男爵(Nicholas Kaldor、Baron Kaldor、1908年5月12日 - 1986年9月30日)は、ハンガリー生まれのイギリスの経済学者。ハンガリー名はカールドル・ミクローシュ(Káldor Miklós)。ナイトを授与され「サー・カルドア」とも、一代貴族としてカルドア男爵に叙されたため「カルドア卿」とも呼ばれる。 == 略歴 == *1908年 ハンガリーのブダペストにおいて、父親は弁護士である裕福なユダヤ人家庭に生まれる。2人の息子がなくなり、娘が1人残されているだけのところに誕生した。 *1914年 6歳から学校に通い始める。 *1918年 10歳でブダペスト大学の管理するモデル・ギムナジウムに移った。 *1925年 ベルリン大学で18か月(1925年10月~1927年春)だけ学ぶ。 *ハンガリーの新聞の外国派遣通信員として働く。 *1927年 イギリスに渡る。当初は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で学位を取るつもりはなく、ジャーナリストの仕事も行っていた。 *1930年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE) を卒業。ライオネル・ロビンズの推薦によりresearch studentになる。 *1932年 講師補(Assistant)となる。 *1934年 Clarissa Goldsmith(Goldschmidt)と結婚。 *1935年 - 1936年 Rockefeller Research Fellowshipを与えられハーバード大学へ行く。 *1941年 LSEの講師となる。 *1942年 LSEのリーダー(准教授)となる。 *第2次世界大戦中は、国民所得会計の整備やベヴァリッジ・レポートの立案などの仕事を行う。 *1947年 LSEに休暇願を出すも許可されず、辞任の上欧州経済委員会研究・計画局の局長につく(2年半)。 *1949年 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジの研究員として大学に戻る。 *1952年 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジのリーダー(准教授)になる。 *1964年 イギリス労働党のアドバイザーとなる(1964~8年、1974~6年)。 *1966年 ケンブリッジ大学教授となる。 *1974年 一代貴族をえ、カルドア男爵(Baron Kaldor)と呼ばれる。 *1986年 ケンブリッジ州Papworth Everardで死去(78歳)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコラス・カルドア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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