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ニコラス・キーファー : ミニ英和和英辞書
ニコラス・キーファー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ニコラス・キーファー : ウィキペディア日本語版
ニコラス・キーファー[ちょうおん]

ニコラス・キーファー(Nicolas Kiefer、1977年7月5日 - )は、ドイツホルツミンデン出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス6勝、ダブルス3勝を挙げた。シングルス自己最高ランキングは4位。身長182cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 選手経歴 ==
6歳からテニスを始め、1993年に16歳でドイツのジュニア・チャンピオンになった。1995年全豪オープン全米オープンの男子ジュニア部門で優勝。
同年にプロ入り。1997年ウィンブルドン選手権で初のベスト8進出を果たす。この大会で、長年ドイツの男子テニス界をリードしてきた2強豪ボリス・ベッカーミヒャエル・シュティヒが同時に現役引退を表明したため、後継者としてのキーファーは地元ファンの大きな期待を集め始めた〔ベッカーは2年後、1999年ウィンブルドンに一時的に現役復帰。4回戦でパトリック・ラフターに完敗終了後再度現役引退している<〕。同年9月、フランストゥールーズの大会でツアー初優勝を果たす。
1998年には全豪オープンでも8強入りする。1999年にキーファーは男子ツアーのシングルスで年間3勝を挙げたが、その中には4月に東京で開かれた「ジャパン・オープン」の優勝が含まれている。2000年全豪オープン全米オープンで準々決勝に進出し、年間2勝を記録した。だが、2000年10月の香港大会の優勝が自身最後の優勝になり、2001年以後のキーファーは男子テニスツアーで10度の準優勝止まりであった。
ニコラス・キーファーはオリンピックのドイツ代表選手として、2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪2008年北京五輪の3回出場を果たしている。アテネ五輪ではライナー・シュットラーとペアを組んで、男子ダブルスの銀メダルを獲得した。この時の決勝戦では、2人はチリ代表のニコラス・マスーフェルナンド・ゴンサレス組に 2-6, 6-4, 6-3, 6-7, 4-6 のフルセットで敗れた。
2006年全豪オープンで、キーファーはついに4大大会の自己最高成績となるベスト4進出を果たした。その準決勝では第1シードのロジャー・フェデラーに 3-6, 7-5, 0-6, 2-6 で敗れ、決勝進出はならなかった。ところが、全仏オープン3回戦でトマーシュ・ベルディハチェコ)に敗れた試合の後、故障による長期間の戦線離脱を余儀なくされる。1年間のブランクを経て、ようやく2007年6月に試合復帰を果たした。ATP・WTAツアーのランキングシステムでは、1年間の出場トーナメント数が3大会に満たないと、世界ランキングの対象外になるため、キーファーは2007年6月にATPツアーランキングから外れたことがある。それを乗り越えて、10月の「マドリード・マスターズ」でベスト4に入り、年間の最終ランキングで50位以内に復帰した。
2008年ウィンブルドンで、キーファーは久々に第27シードを得たが、3回戦で第2シードのラファエル・ナダルに 6-7, 2-6, 3-6 のストレートで完敗した。
キーファーは2010年に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラス・キーファー」の詳細全文を読む




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