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ニコラス・マスー : ミニ英和和英辞書
ニコラス・マスー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ニコラス・マスー : ウィキペディア日本語版
ニコラス・マスー[ちょうおん]

ニコラス・アレハンドロ・マスー・フリルNicolás Alejandro Massú Frir, 1979年10月10日 - )は、チリビーニャ・デル・マール出身の男子プロテニス選手。2004年アテネ五輪にて、男子シングルス・男子ダブルスともに金メダルを獲得した選手である。これまでにATPツアーでシングルス6勝、ダブルス1勝を挙げている(オリンピックの単複金メダルを含む)。自己最高ランキングはシングルス9位、ダブルス31位。身長182cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 選手経歴 ==
マスーの家族は、祖父はハンガリー人で、父親はパレスチナ出身の技師、母親はハンガリー出身の家政婦であった。5歳からテニスを始め、1997年ウィンブルドン全米オープンのジュニア男子ダブルス部門で連続優勝。同年にプロ転向。2000年シドニー五輪でも、チリの五輪代表として旗手を務めたことがある。
2002年2月、アルゼンチンブエノスアイレスの試合でプロ初優勝。2004年アテネ五輪にて、フェルナンド・ゴンサレスと組んだダブルスでドイツ代表のニコラス・キーファー&ライナー・シュットラー組を 6-2, 4-6, 3-6, 7-6, 6-4 で破り、シングルス決勝ではアメリカ代表のマーディ・フィッシュに 6-3, 3-6, 2-6, 6-3, 6-4 で勝ち、単複とも金メダルを獲得した。オリンピックテニス競技において男子選手が単複ともに金メダルを獲得したのは、1924年パリ五輪におけるビンセント・リチャーズ1903年 - 1959年)以来の偉業であった。
2005年度はシーズンの早い時期に故障を抱え、シングルスでは世界ランキングを大きく落としたが、全仏オープンの男子ダブルスでフェルナンド・ゴンサレスとペアを組んで準決勝進出を果たしている。この年の全米オープンで、マスーは初めて4大大会の4回戦に勝ち上がり、第8シードのギリェルモ・コリアに 4-6, 6-2, 7-6, 2-6, 2-6で敗れた。
2006年2月、マスーは「ブラジル・オープン」(ブラジルのコスタ・ド・サウイペにて開催)でツアーシングルス6勝目を挙げた。しかし、この後は4度の準優勝で止まり、現時点では2007年1月の「モビスター・オープン」(故郷のビーニャ・デル・マールで開催)決勝でルイス・オルナペルー)に敗れた試合を最後に、ツアーの決勝戦から遠ざかった。
2008年北京五輪で、ニコラス・マスーは前回大会の金メダリストとして出場資格を与えられたが、シングルス2回戦・ダブルス1回戦敗退に終わった。
その後は世界ランキングの下降により、男子ツアー下部組織のチャレンジャー大会群への出場が多くなった。2013年7月にエクアドル・マンタのチャレンジャー大会に出場したのが最後になり、8月に33歳で現役引退を発表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラス・マスー」の詳細全文を読む




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