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ニコラ・ピエール・アルマン・マユ(Nicolas Pierre Armand Mahut, 1982年1月21日 - )は、フランス・アンジェ出身の男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス37位、ダブルス9位。2015年全米オープン男子ダブルスでピエール=ユーグ・エルベールとペアを組んで優勝した。ATPツアーでシングルスは3勝、ダブルスで13勝がある。右利きでバックハンドは片手である。 「ニコラ・マウー」等の表記も多く見られる。 グランドスラムダブルスで優勝1回。また、2010年ウィンブルドン選手権男子シングルスにおいて史上最長試合11時間5分を記録したことで知られる。 == 来歴 == === ~2010年 === 5歳からテニスを始め、2000年にプロ入り。ジュニア時代、2000年ウィンブルドンの男子ジュニアシングルス部門で、マリオ・アンチッチ(クロアチア)を破って優勝したことがある。本人の話によると、「人生で最高の瞬間は2000年のウィンブルドン・ジュニア優勝だったが、最も苦しかった時期はプロテニスサーキットを回り始めた頃だった」という。2001年全豪オープンで4大大会にデビューした時は、1回戦でウクライナのアンドレイ・メドベデフに 2-6, 4-6, 6-2, 6-4, 4-6 で敗れた。2001年からの2年間は、主にフランス国内の下部サーキットで下積み生活を送った。2003年と2004年に、マユは9月のフランス・メス大会でダブルス2連覇を果たしている。 ニコラ・マユは2006年3月、京都市体育館で開かれた「全日本室内テニス選手権」に出場し、決勝で盧彦勲(台湾)を 6-4, 6-1 で破って優勝した。 全日本室内テニス選手権は、ATPツアーでは下部の「チャレンジャー大会」の1つとして扱われ、ツアーの公式サイトでは“Kyoto”と記載されている。この年はウィンブルドンで初の3回戦進出があり、マユは第1シードのロジャー・フェデラーに 3-6, 6-7, 4-6 のストレートで完敗した。 マユは2006年までシングルスでの好成績が少なかったが、2007年6月中旬にウィンブルドン前哨戦の1つであるロンドンの「クイーンズ・クラブ」大会で準優勝した。3回戦でイワン・リュビチッチを破り、準々決勝で全仏オープン3連覇を達成したばかりのラファエル・ナダルを破って注目を集める。準決勝では同国の親友アルノー・クレマンを破り、初めてのATPツアー大会決勝戦に進出したが、決勝ではアンディ・ロディックに第2・第3セットのタイブレークを奪われ、6-4, 6-7, 6-7 で敗れた。続くウィンブルドンでは、2回戦で同じフランスのリシャール・ガスケに敗退している。7月のニューポート大会で2度目の決勝に進出したが、ファブリス・サントロに 4–6, 4–6 で敗れている。 ダブルスでは、2004年全米オープンと2007年全米オープンでジュリアン・ベネトーと組みベスト4に進出した。 2010年ウィンブルドン選手権男子シングルスでは1回戦でジョン・イズナーと史上最長試合を演じた。詳細は後述。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニコラ・マユ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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